753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

十分グレー

感情が灰色になるときは決まって原因不明だ。

感情を色に例える理由とか、

その根拠が曖昧だからとかではなく。

まあ、強いて言えば、

今が25:42だからなのかもしれないが、

深夜でも晴れ晴れとした気持ちの日もあるのだから、

一要素ではあっても決定的な要因ではなさそうである。

 

大抵こういうときは、

何か1つのことが一心に頭をもたげているときだと相場が決めている。

心なのか頭なのかは決めてくれない。すぐ脱線。

 

ブレインストーミングとして、

紙に気がかりなことをひたすら書き下してみたりも昔はよくやっていた。

今はやらない。

なぜなら書き出し始めると2,3個で手が止まり、

実は頭がパンクしそうだった割には大してたくさんのことを一挙に抱えて、

にっちもさっちも立ち行かなくなっているわけではないことに気づき、

自分の要領の悪さに凹むから。

 

やる気は側坐核が担ってるらしいが、

側坐核はやっぱりやり始めないとやる気を呼び起こしてくれないらしい。

やらなきゃいけないことから目を背けてしまう。

そんな自分が嫌でストレスになると余計に快楽の方へ向かってしまう。

快楽と怠惰は似て非なるものだがしばしば重なってムカつく。

アグレッシブを自で行く奴が行動と快楽をコネクトさせた術を知りたい。

どこで差がついたのか。

 

こうやって文字にしていると頭の中から少しずつ膿が出ていくのを感じる。

さっきまで若干感じていた脳圧の高さは和らぎ始めている。

脳圧って分かる?脳に圧迫感感じることない?よくある。

これなんなんだろ。

脳圧と呼んでいいのかも分かってない。

分かってないけど今もこうして徐々に減圧。

残り2分。今がここで672字。

前回よりも少し文字数は増えたな。

殴り書きみたいな文章だけど。

 

そうそう、思うんだよね。

読みやすい文章と書きやすい文章、

それに書きたい文章は違う。

これがもともと同じな人がいるのかは、


タイムアップ。

十分エッセイ

熱が出た、のは嘘だ。

久しぶりについた別に誰も傷つかないけど、

かといって誰にも何の利益もない嘘。

強いていえば、

僕は嫌なことから逃げられた。

 

嫌なことがあったら逃げるタイプだ。

いや、タイプとかではないな、

嫌なことからは逃げるべきだ、

という信念の持ち主だ。

かもめ食堂のセリフを思い出す。
「やりたいことだけやってるんじゃないんです、やりたくないことをやらないだけなんです」(雰囲気引用)

嘘をついた代償は、

今日一日SNSでは静かにすること、

大学付近には近づかないこと、

ば先で空元気とただの元気の中間みたいな顔してること、

夜は飲み会に行くこと。

 

ちなみに何から逃げたのかというと、

今の自分に1番必要なこと。
勉強。
言い訳ならいくらでもできるがあえてしない。

僕が逃げたのは勉強からだ。

でも、

そんなに悪いことだとも思わない。

逃げることが悪いこととは一概には言えない。

科学技術の進歩は常に、

「もう少し楽したい」

という思いの連続だったはず。

そして何か辛いことから逃れるためにこそ、

効率や簡便さが求められてきたはず。

僕はずっと必要なものを最低限の労力で行うための努力だけは惜しまなかった。

 

つらつらと結局、書いてあるのは言い訳だと思う。

せめて書いた理由を言いたい。

10分で今現在の思いの丈を書き切る、

という試みを行なっている。

ここまでで8分半。

あ、もうあと1分だ。

文字数でいうとここでちょうど585字。

こんなもんなんだな。

何回か続けていきたい。

とにかく最初は内容や質にこだわらず。
タイムアップ。

絵画とデータへの好奇心

ずっと前から気になってる本が7刷出来で朝日の一面に。 

上野でやってる企画展が面白そうだとよく行く。

自分の直感に従って鑑賞するのもアリだと思っているから、

今のままでも全然いいんだけど、

この絵はどこがすごいのか、

説明書きを読まなくても自然と判ったら楽しいだろうなとも思う。

てか、必ずしも全ての作品に説明書きあるわけじゃないしね。

全然有名じゃない作品に自分の中で何か感じたりしたとき、

それがなぜなのか判ったら楽しい。

 絵画は自分ではできない(絵心が皆無だ)から、

自分でやってみて判るということもない。

むう、書きながら絵を上手くコツも知りたくなってきた。

この類の本は伸びしろだらけで好奇心が止まらない。

 

ちなみに、

写真のことは少し判ってきた。

写真がプロっぽくなる「20のテクニック」 | TABI LABO

詳しく知りたい人にはこのサイトがオススメ。

 

 

表やグラフの向こうまで見えたら

 日経新聞を読むようになってもう2年になるか。

絶対載ってるじゃん、1ページに1つは。

表やグラフ。

あれわかりやすいのかね、あった方が。

今の所は全然そんなことない。

記事内容を読むとあー、なるほどねとなるが、

それまではただの円と線。

こういうの読んでそれが劇的に変わるなら、

っていうか円と線がムスカ並みに読めるゾォ!となるなら、

絶対読んだ方がいいじゃん。

 

あー、なんなら表やグラフ自分で作れるようになりたい。

その技術あればなんでも気になったことわかりやすくまとめてみんなに発信できる。

そしたらもう最高だ。

でもそうなったらあれだな、

みんなにもまずこの本読んでもらわなきゃなんだな。

表やグラフってそういう回りくどい話?笑

また円と線にみえてきた。

 

円と線といえば

そういえば昔、「絵が上手くなるには」で調べたサイトに、

まずはきれいな円が書けるようになるまで、

ひたすら円を描きましょうと書いてあった。

あれ調べたきりでやってなかったな。

まずはそこから始めることにするか。

 

どうやらタイトル改定。

これは、

”円と線への好奇心”

師走って名付けたやつ天才か?

 年の瀬だなー、と最初に感じたのはあれ、千葉市美術館でやってる企画展「目〜非常にはっきりと分からない(的な名前、あってる?)〜」を観に行こうと思ったとき。あれ、28日までなんですって。行きたかった。

まだ27日なのに過去形なのはバチボコ行く時間がないからなんですけど、時間は作るものですよね、判ります。でも、行けないのです。なにしろ28といえばもう明日の話、今日はバイトのあと忘年会、明日は夕方から別のバイト。時間がない。

 理論的欠陥に説き及ぶ前に、2つのバイトの関係性の話を。前者は2年位前からやってる弁護士事務所の事務屋。後者は近所のテーマパークのキャスト。正確にはゲーセンの従業員。あとから始めたけどこっちの方がよく入ってる。

後者を始めた理由は結構単純で、彼女が2年くらい前から既に働いてたところ、経営不振のため会社が交代する、マンパワーがやたら不足するなど諸問題が発生していたのでそれじゃあって手を挙げただけ、単純でしょ。

彼女が働くと店が潰れるって話はまた今度ね。主な業務は来客対応(レジ打ち)とお茶(などのドリンクバーを利用したい人へのコップ)出しなので、やってることは事務所と一緒。お茶出しなんか専売特許。マイブームは一煎目二煎目のミックス。

面白いのは、ゲーセンを始めてから、事務屋の仕事が上手くできるようになってきたこと。こういうのなんていうんだろ、名前をつけたい。暫定的に相乗効果と呼ぼう。あ、シナジーってどうだろう!

 話を戻そう。あ、年の瀬ってどういう由来なんだろう。いや、話を戻そう。どうも、年末は息つく暇がなくていけない。昨日は一日軟禁で、溜まってた新聞28冊に目を通した。1日2紙朝夕刊で4冊。つまり1週間分。

これは要するに1週間怠惰していたということであるし、ずっと読む暇がなかったということでもある。そして昨日は新聞だけ読んで1日終わった。ツケが溜まるとはこのこと。ひい。どうも、年末は息つく暇がなくていけない。28日までなんですって?行きたくなくなった。

「パーティで女の子に話しかけるには」ーーパンクとSFの優良ハイブリッド

パンクなのに内気な少年エンは、偶然もぐりこんだパーティで、反抗的な瞳が美しい少女ザンと出会う。大好きなセックス・ピストルズやパンクファッションの話に共感してくれるザンと、たちまち恋におちるエン。だが、ふたりに許された自由時間は48時間。彼女は遠い惑星へと帰らなければならないのだ。大人たちが決めたルールに反発したふたりは、危険で大胆な逃避行に出るのだが―

 

エル・ファニングにこの演技をさせた製作陣、グッジョブすぎる。奇妙な設定なのに、だからこそ現実とのリンクが胸を打つ。シチュエーションSFの醍醐味が味わえる不思議と胸がじんわりとする映画。

 
単純な恋愛モノに飽きてきた人、今までになかったエルファニングの一面が観たい人にオススメ。あとはパンクってなんだろう?って人のパンク入門にも。


説明ゼリフで白けさせない代わりに最後までよく分からない宇宙人設定も“パンクだから”という理由でねじ伏せる強引さ。完成度が低いという見方もできるかもしれないが、個人的にはこれは加点ポイント。映画としての荒さが主人公たちの若さやパンクへの熱望、向こう見ずな部分とリンクして全体として親和性の高い仕上がりになっていると思う。 


エンディングはそこまでひねりなし。悪くはないけどもうひと押し足りないという点で星4。閉鎖的な街に辟易した若者たちのたどり着いた境地としてのパンクを描いた作品でもあるので、大きな展開はないが、それでも退屈しないだけの絵力のあるパンクの世界観。主人公2人の歌唱シーンは必見。


出演者の中で注目はやはりエル・ファニング(ザン)。宇宙人流のルールにうんざりしたザンがパンクに目覚めるシーン、そしてその衣装は1番の見どころ。シビれる。


またセリフとしては、ザンが決して栄えているとは言えない街の夜景を見て、「宝石みたい」と言うセリフが印象的。宇宙人ならではの視点からこの世界を再認識させる演出が随所に。

 
監督はヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のジョン・キャメロン・ミッチェル。総じて音楽と映画の融合が武器の監督。


にしてもタイトルとフライヤーからは内容が予想できない良い意味で裏切られる映画。新しい映像表現が目白押しなので、ちょっと変わった映画を観たいときにおすすめ。

「(500)日のサマー」ーー残酷なまでの「運とタイミング」。けどそれに尽きる。

運命の恋を夢見る男の子と、真実の愛なんて信じない女の子の、ビタースウィートな500日ストーリーサマーに恋をした、最低で最高の500日。建築家を夢見つつ、グリーティングカード会社で働くトムは、秘書として入社したサマーに一目惚れしてしまう。意気投合し、いいムードになった二人。トムがサマーに「彼氏はいるの?」と聞くと、サマーの答えはノー。恋愛と友情の間に果てしなく広がるグレーゾーン。人を好きになるって、どうしてこんなに楽しくて切ないんだろう。誰もがまた恋したくなる、二人の(500)日がはじまる!

 

なるほど、これはボーイ・ミーツ・ガールの物語。
恋愛モノらしい人物描写をせずに、淡々と男性目線で描かれる男のバカさ短絡さ単純さ思い込みの強さ。

サマーの人物設定はシーンとして盛り込むというよりはナレーションベースで、逆にサマーの魅力についてはズー・イー・デシャネルの演技で魅せている。
カクテルパーティーで初めて2人がしっかり会話するシーン、彼女はトムの驚きの表情を自分の顔にデフォルメコピーして目を見開いている。こういう部分にサマーの共感性の高さが現れている。
シーンとして盛り込まれた人物描写としては「人気がないからリンゴスターが好き」というのが印象深い。
ただ、「こんな話したのは初めて」というセリフが結局何の伏線にもなっていないように、サマーは本当に何も深い意味のある言葉は発していない。けど嘘も言っていない。
拡大解釈するのはいつも男の方。

主人公のトムが冴えない髪型というのも重要。
アバウト・タイムのティム然り、髪型に頓着しないというのは分かりやすい人物設計。

全ては見方、視点一つでひっくり返る。
トムがサマーの好きだったところを嫌いなところにすり替えるのはまさにその典型。
また、最後に招かれたパーティーでの理想と現実の乖離。虚しいけど、実際にこういう「思った感じと違う」というのは避け難く存在する。
どちらも男性特有の思い込みや皮算用が表現されていて面白い。

改めて感じたのは“serendipity ”(思いがけず出会う幸運)とそれを起こすために必要な3A("Action”“Awareness”“Acceptance”)の大切さ。
どこで何に出会うかわからない。
家に閉じこもってないで行動しよう。

それにしてもズー・イー・デシャネルという人間は本当に魅力的。国籍関係なしに見れば見るほどどんどん好きになっていく。彼女の魅力は普遍的なんじゃないか。
イエスマンをまだ観てない人にはイエスマンを、既に観ている人には海外ドラマ「NEW GIRL」をおすすめ。
ズー・イー・デシャネルがずっと可愛い。

「小夏日和 ふるさとは、わたしの未来でした。」は、高知の魅力を詰め込んだ静かな作品でした

唐田えりか濱田龍臣主演の本作「小夏日和」は、高知県を舞台にした作品。

高知の美しい景色をたくさん見る事のできる、とても優しい作品でした。

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変わらない風景が嫌いで町を飛び出して以来、二年振りに小夏(唐田えりか)が高知に帰ってきた。
突然の再会に驚く幼なじみの日和(濱田龍臣)に、小夏は悩みを打ち明ける。翌朝、日和は小夏をある場所へ連れていき…。

ストーリー自体は単純で、大きな展開はあまりないのですが、それでも十分な見応えのある作品だと思います。

 

とてもゆっくりとした時間の流れる作品になっていて、都会の喧騒に疲れた主人公・小夏のように、忙しない日常からエスケープして、非日常的な世界で小休止したい人にオススメです。主演の唐田えりかも作品の雰囲気にとても合っていて(もともと彼女はこういうタイプの作品との相性がとても良い)、彼女ファンの方も納得の作品じゃないでしょうか。

 

一番の見所は先ほども述べたように、作品の舞台となっている高知県の魅力的な景色が詰め込まれた情景描写です。とにかく行ってみたくなる美しい景色ばかり。主人公の小夏が嫌いだと言った高知のずっと変わらない風景は、変わらないからこそ昔の面影を残していて、作品全体に良質な空気感を漂わせてますね。

 

この作品、もちろん出てくる景色どれもが良いんですが、これ、ただ漫然と良い景色をカメラに収めているわけじゃないんですよ。ひとつひとつかなり構図にこだわって撮っていると思います。物語に合わせたシーン選びと、そこで演者をどう撮るのか。これだけ展開の少ないストーリーで作品の中に情緒に出せているのは、撮り方によるところが大きいと思います。

 

唐田えりか演じる小夏は「写真を撮るために帰ってきた」と作中でも言うようにカメラを常に持ち歩いていますが、実際に現場でも唐田えりか自らカメラを手に景色を撮っていたそうで、その写真はエンドロールにも使われています。どれも、味があってとても良いですね。

 

濱田龍臣演じる日和のセリフ、

変わろうとしうき、ずっと変わらずに居れるがや。

これがこの作品全体に圧倒的な意味性を持たせています。

実際に観るとわかりますが、本当に波のない穏やかな作品なんです。だけど、何か感じるものがある。それは《動的平衡》と呼ばれる、このセリフに代表される大きなテーマ性があるからです。

変わらないために変わり続ける

高知の大自然から感じられるのは、1年で全てが入れ替わる、僕たち人間をかたどる細胞とも同じバイオリズム。

みんなが知っているはずの、だけど忘れがちなとても大事なことを、この作品を通じて感じることができます。

 

制作に関しては、ニューヨークフェスティバル金賞などを受賞した、「つくるということ」のカンテレ技術スタッフの再集結となっています。「つくるということ」はファッションブランド「ミナ ペルホネン」で使われる生地制作の過程を撮影した作品で、語りは蒼井優が務めています。カンテレのドラマは優しい雰囲気の作品が多いみたいですね。

 

僕は最近唐田えりかがとても気になっていて、彼女のインスタを観ていてこのドラマを知りました。これからカンテレにも注目していこうかな。 リトル・フォレストカモメ食堂のような静かな映画が好きな人、忙しない日常から現実逃避したい人におすすめです。カンテレドーガのサイト又はアプリから10月14日まで無料配信中ですので、是非。

 

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