753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

Tonight, Politics is in da house!

   2020/09/05
 政治家を胡散臭く感じる原因を考えてて、少し思い至った。あの人たち、ずっと価値観が変わらないからかもしれない。今の世の中は価値観や常識が日ごとに変わっていってるから、少し賢い人ならそれに合わせて自分の価値観も日々更新していかないとダメだって気づいてる。でも政治家たちにはそれが起こらない。だからなんか、変。人間味を感じないし、同じ価値観に固執しているように感じる。まあ実際そうだろうし。
 でもその理由は何となくわかる。あの人たちが単なる容れ物に過ぎないからだ。イメージでいえば、ある価値観ごとに「政治家」という家があって(まさにだな)、一般市民はその時の自分の理想に合わせて住居を選び、考え方に変化があれば、そのたびに引っ越しを繰り返す、そういう感じ。価値観が朝令暮改するのだから、住人の入れ替わりは日々起こっていた方が望ましいし、家ごとの人気にも流行り廃りがあった方が自然。2階建ての一軒家に今どれだけの人気があるのやら。まあ実際には有権者の方も自分の考えにどんどん固執していってしまう人が大半なのだけど(僕はそれを賢いとは思わない。昨日の自分が間違ってたと思うときはそう言えるほうがよっぽど賢いし常にその内省は繰り返されなければならないと思うから。脱線した。)。
 つまり、健康的な社会なら、そこにはダイナミックな価値観の変化が常に起こっているのだから、その都度人気の大型物件が変わっていくのが自然であるのに、今の日本にはそれがない。一軒家を購入してしまうことなんて国民がまともなら絶対に起こり得ないはずなのに(だって地震大国だよ?脱線した。)、全然賃貸に人気がない。そんなの”安定”という名の単なる無思考・無批判状態だ。
 素敵な家選びも、そこの住環境も、僕らの個人的な問題なのだと心得ておきたい。住んで都にするのは僕らの権利であり義務だ。

 

f:id:shimessi:20200905131843j:image

f:id:shimessi:20200905131859j:image

the Boy and the Girl

   2020/09/04
 彼女の誕生日や周年ではいつも何らかの声明を出していたのに、今年はうっかりどちらも忘れていた。で、昨日が一応年と半分のタイミング。なのでここでまとめていろいろ言っておく。
 周りを見ていて‪、恋愛とはつまりパズルみたいなものなのだと思うようになった。どうやっても合わないペアがあったり、いくつも穴が空いてるピースやいくつも出っぱりのあるピース(意味深)があったりして、たくさんのそれを活かしてたくさんのピースを同時に試してみたり、一つずつ丁寧に試していってそれでもなかなかしっくりくるピースには出会えなかったりする。1番良くないのは割とぴったりハマっちゃったときだったりして、一見問題なさそうなのに少し揺らしてみると意外に簡単に外れちゃってハイ残念。その上ただずっとハマってればいいってものでもないときた。で、そんな中僕らはもうほぼ誤差なし!(BG)って感じなので日々それに驚いてるんですよっていう惚気‬なんですけどもこれは。まあそれでも、角のピースですら2つはハマるわけで。人間は丸っきり目移りせずにはいられぬものなのかも。無い物ねだりも今に始まった話じゃなし。まあでも、70億もあるピース(性別不問)から二つ目のぴったりピースを探し当てるなんて至難の技だし、そもそも確率論から言っても〜とかもろ込みでお前と誤差なし!(BG)なのはやっぱり運もタイミングも最高なんだわ〜っていう惚気‬なんですけどもこれは。そういう4年半です。
 今のが前文です。で、‪「理想の夫婦とか鼻で笑うっちまうぜ誰の真似もせず参考にすらせず俺たちだけの理想形で誰もが嫉妬しそれでいてこうはなりたくないないやなれないなと思う完全究極になってやろうぜって話はまだお前にはしてないけどきっとお前もおうよって言ってくれるよな俺らでやったろうぜまだまだやれるぜ‬。」これが声明です。

 

f:id:shimessi:20200904231320j:image
f:id:shimessi:20200904231339j:image

マあちゃんの春

  2020/09/03
最近、ママの方のばあちゃん、つまりマあちゃんが週一回デイケアに通うようになった。毎週色んなことをするらしい。カラオケ大会とか、習字とか(習字で書いたやつ見せてもらったけどめちゃくちゃ上手くてびびった)。この前は塗り絵をやったらしい。それで、上半分がお月見のイラストになってる9月のカレンダーに色を塗ったものを、僕にって、わざわざ名前の欄に僕の名前まで書いて、プレゼントしてくれた。俺の名前書いたら俺が塗ったみてえじゃねえかとも一瞬思ったが、見事な配色と塗りっぷり。むしろ自分でやりましたと豪語しても恥ずかしくない出来栄えだ。特に、9月は21日と22日が祝日なので、そこの数字だけ赤で塗ってあって細部へのこだわりと気配りを感じさせる。この点はセンターの人たちにも褒められたらしい。嗚呼、優しい世界。
 こういうのを、バカにするのは簡単だ。バカでもできるという意味ではまあそうなのかもしれないけど。どうあれ、いい歳して塗り絵?(笑)と思う人は、実際、いるだろう。ただ、覚えておかなければ。今僕たちがバカみたいだと一笑に付した未来は、いずれ僕たちにやってくる未来だということ。それは僕たちが僕たちにかける呪いだということ。そんなこと、することないだろうよ。
 老人が童心に還っていくことを幼児退行と言う人もいるが、それは間違いだと思う。還暦という言葉を解けば、月日が一巡りして、元の場所に戻っていくことを意味する。そうやって四季が一巡りすると、やがて春に還ってくる。それは温もりの季節。みんなはしゃいで楽しくて、心が小躍りする季節。また戻ってきたいと思える季節。若さや知性が全てなんて、あまりにも冷たいじゃんかと思う。そこはきっと冬で、なら今はきっと秋。深まる夜長月。春よ、まだ見ぬ春。迷い立ち止まるとき、夢をくれし君の眼差しが肩を抱く。

 

f:id:shimessi:20200903114022j:image

f:id:shimessi:20200903114046j:image

 

f:id:shimessi:20200903114100j:image

夜のサパーはさらさらいくよ

   2020/09/02
「お茶を飲むときに、 お茶に最初に触れる部分はくちびる、という人がほとんどではないでしょうか。 なにをおかしなことを言ってるのかと思われるかもしれませんが、意外な事実とも思いませんか。お茶を飲むまでには、急須で滝れて、湯呑へ注ぎ、 それを持ち上げているけれども、直接茶葉や液体には触れずに、口まで運んでいるのです。手で触れているのは、 あくまで湯呑であり急須。そう思えば、お茶に対して感じる感覚の大部分がお茶以外の要素に支配されているのではないかと思えてきます。」(TOKYO TEA JOURNAL Vol.13 巻頭ページより)


 綺麗で分かりやすく、感度の高い文章だなあと思った。今日は久々にゆっくり時間を取って一服しようと思える精神だったので、行きつけのお茶屋さん【煎茶堂東京】が発行している月刊誌『TOKYO TEA JOURNAL』が紹介するお茶を頂いた。この略してTTJ、毎号1回分の茶葉が2種類付いてきて、その茶葉に合わせてペアリングする料理の紹介や新しい飲み方の提案をしてくれる超優良誌で、煎茶堂東京のお店自体はなかなか飲む機会のない全国のシングルオリジン茶葉、つまり混ぜもんなしのノーブレンド茶を扱う日本初のお店で、銀座にあって、って、まあ詳細はワールドワイドウェブにダイブ。


 話を戻して。このあと文章は「同じものを食べても環境によって味わいが大きく変わる」という話に続く。そうだよね。僕らは食べ物を食べてるようで、実際にはかなりその場の空気や雰囲気を食ってる。ぶっきらぼうなおばさんがホールに立ってる町中華で食うチャーハンはテーブルがベタベタだとなおさら旨いが、高い金出してくる食うフレンチでウェイターがベタベタしてたら美味しいものも美味しめない。だから誰と食べるのかも大事になってくる。大切な人との食事にはなるべくサラサラで臨もう。

 

f:id:shimessi:20200902142127j:image

f:id:shimessi:20200902142137j:image

 

www.senchado.jp

 

 

足元にも及ばない

   2020/09/01
 レンズ交換するだけなのに10日かかると言われた。でも驚いたのはそこではなく、眼鏡屋さんが「これで少し歩いてみてください。気持ち悪くないですか?」なんて聞くからだ。実際気持ち悪かったし、自分の一歩に意識を向けたのはひどく久しぶりだったからだ。それをなんだか気持ち悪く思ったからだ。


 自分の足元を見なくても、なんとなくで歩けるようになったのはいつからだろう。街へ出る。出来たばかりの何かを喰らう。また街を歩く。ああ、トーリクンコの匂いがキツい。逆さま世界を順に見る。ふと目に入る名画座の受付係。あの人の観る映画はきっといつも途中から。緊張と緩和を繰り返す信号機の赤。心配りで用意された『盲人用』の押しボタンに盲人は気づけるか。余計なことばかり視神経を刺激する。なのに肝心の足元への意識が覚束ない。見なくても問題なく歩けると言うには僕らは小指を角にぶつけすぎる。坂本九には悪いがもう少し下も見ていいのではないか。それは自分の身体に意識を向けるということでもあるからだ。


 話は小難しい方向へ。脳が社会と結びつくならば、身体と結びつくのは自然である。社会人という言葉もあるくらいだから、大人とは脳の存在と言ってしまってよいだろう。だとしたら子供は身体の存在ということになる。それから、社会とは予測可能・数値化可能な世界のことだ。そこでは身体性は徹底的に排除される。非合理的で予測不可能だからだ。つまり、妊娠・出産する女性や子供は社会にとって不都合な存在ということになる。非合理的で予測不可能だからだ。そしてこれこそが性格差や子育ての困難さの本質である。と、以上、養老孟司の考える身体性の問題である。ふむ、正直納得できるけど、そんなのヤダ。僕らにはやっぱり身体性が必要だ。じゃあどうすればいいのかって。だから、下を向いて歩こう。気持ち悪いけど。

 

f:id:shimessi:20200901165539j:image

f:id:shimessi:20200901165549j:image

一貫性不要論

   2020/08/31 
 一貫性ってなんだろうとつくづく思う。恋愛がうまくいかないのはいつだって慣性の法則を信じすぎたときだ。この前は好きって言ってくれてたじゃないか!って。私がケアベアを好きだったのは12年も前の話よ?って。だからお互いにとって新鮮で魅力的な状態を保ち続けるような、会うたびに気持ちを更新するような努力が大切であって、実際上手くいってるカップルはそこら辺をなおざりにしてないんだろう。でも、別に好きじゃなくなったっていいわけじゃん。昨日まで好きだったものを今日疎ましくて仕方なく感じることもある。実は慣性の法則に基づいて疑うことを怠っていたのは、相手が自分をまだ好きでいることではなく、自分がまだ相手を好きだという気持ちだったりもする。
 つまり、一貫性なんてものは必要ないってことだ。もし、僕たちが過去に囚われ続けて生きるならば、今日の選択は全て過去によって決定されることになる。それでもまだ僕たちには自由意思があると言えるのか。だからそうじゃない。僕たちはついさっき口走った発言を気持ちよく撤回しながら生きていくことが出来る。過去に囚われず前に進むことが出来る。だからこれからがこれまでを決めることが出来る。だからこそこの瞬間の選択ひとつひとつを自らの手で頭で選んでいくことに何事にも代え難い尊さが宿るのだ。さればこそ、今日もあなたが好きです。その一言が嬉しくて嬉しくて仕方ないのだ。明日も良い日になりますようにと祈りたくなるのだ。古きを温ね新しきを知ることが重要なのだ。こうやってついつい熱く語りたくなってしまうほどに、僕たちのそれぞれの瞬間が自らの選択で手繰り寄せる美しい未来への可能性で煌々と輝いているのだ、って、思わないとやってらんないじゃん?人生ゲームのオープンカーのハンドルを他人に握らせてたまるかって。あんな簡単に乗ってる人落ちちゃうのに。

 

f:id:shimessi:20200831145434j:image

f:id:shimessi:20200831145443j:image

 

夏にまつわる蚊とコロナ

  2020/08/30
 ここ最近、夏を誇り切るような入道雲が遠くの空にいつも浮かんでいて、体の中で太陽が燦々とするのを感じる。夏は心のトーンを上げてくれる。最高だ。最高なのに、そんな夏はもう直ぐ終わっちまう。どうせならせめて、夏が終わる前に一度でいいからあの雲の峰までまっすぐに歩いて行きたい、と思うには僕の性格は帰り道の心配をし過ぎるけれど。

 夏は太陽の季節だ。今年は特にそう言い切ってしまうに何ら差し支えない気候に恵まれたのやら憎まれたのやら。下手に日差されれば、死ぬ。そして今年の夏をさらにややこしくしているのは間違いなくあれのせいであれを付けてるせい。まったく、この話題にはもうとっくにアキ(ダブルミーニング)が来ている。とはいえ、夏こそこの話題が相応しいとも言える。なぜって、例のウイルス、名前の由来が王冠(クラウン)。古代ギリシャ語では勝利を祝って首からかける花輪飾りをコローナと呼んでいたのだそうだ。これと由来を同じくするものがもう一つある。それは太陽の外層大気の最も外側にある、絶対温度100万ケルビン (K) を超える希薄なガスの層。そう、太陽コロナである。

 太陽の熱エネルギーって改めて考えると本当にすごい。中でも太陽コロナの部分が特に温度が高いらしい。この熱さなら燃えないゴミも燃えるゴミになるな。ちなみにウイルスの方のコロナは37度では1日経っても死なないそうだ。37度じゃ僕ら1日で骸になれますぜ。代わりと言ってはなんだが、37度が当たり前の世界になって姿を消したやつがいる。お気づきだろうか。耳元でブンブンとうるさいあいつ。そう、読んで字の如く、蚊だ。あいつらを媒介としたデング熱なるものが流行したこともあった。というか、蚊は太古から常に感染病の元凶であり続けたのだ。それがいなくなると思えば、この熱さも少しはマシに思えて来ねえな〜!全っ然!

 

f:id:shimessi:20200830174233j:image

f:id:shimessi:20200830174243j:image