753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

折り紙の文脈

  2020/08/28
 バイト中、乱雑に扱われた引き出しの中から割と保存状態の良い折り紙を見つけた。となると当然「この機会にちょっと新しい折り方覚えるか」という流れになるわけで。ググるとすぐに「おりがみくらぶ」にたどり着いた。サイト名を見た途端に今まさに求めているサイトだと確信した。

 まずは当然だが何を作るのか考えることになる。当然だが僕はこういうとき彼女にプレゼントするなら、と考えるので、当然だが作るのは花だな、ということになって、季節柄も考慮し、おうむたろーず(原文ママ)を折ることになるのは至極当然。

 早速折ってみると、いやはやこれが難しい。折り方の工程表に目を通した時点で気になってはいたのだが、工程表の終盤に「ひねる」という動詞がある。 紙をひねる? イマイチピンと来ない。紙なんてほぼひねった経験がない。いやないだろ。この「ひねる」という作業の正解が分からず、次の工程に進めないという事態が発生した。

 これはつまり、「折り紙だけの文脈」というものが存在するということだ。きっとこの「ひねる」という動詞は、折り紙に慣れ親しんだ者たちからすれば、ツウと言えばカアとなるような、ごく普通の表現なのだ。それが外の世界からやってきた者からすると分からない。読み解く文脈を持ち合わせていないから。言葉の限界を感じた瞬間である。文脈を読む力は自らの手や足を動かしてやってみないことには身につかない。折り紙を通じてそれを再確認することになった。

 ちなみに、無事ろーずは完成した(YouTubeって素敵)。完成したろーずを見た彼女はきっと「綺麗」と言ってくれるだろう。まあ実際には「これどうやって折ったの?」と聞かれる方が嬉しかったりするから人の心は魚心に水心とはいかないものだねというのはまた別の話。

 

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400字詰め原稿用紙2枚分の日々の思い煩いです

 

 

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