753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

adieu - ”旅立ち”

 

私はパリの白い虎?小さな素朴な好奇心?やばすぎる。

こんな詩的な表現、やばすぎる。

やばすぎて、久しぶりにブログに書いておくことにした。

 

 

◎柳瀬二郎 コメント

“旅立ち”は現実逃避の先にある現実を知りはじめた人間or人間以外の何かの歌でございます。

 

 曲は、“旅”という言葉の持つ広大なイメージが存分に活かされて、朝日を浴びるように朗らかに始まる。汚れた雲もなんのその、彼女のモラトリアムは期待や希望で満ち満ちている。

 が、2番からは少しずつトーンが落ちていき、遂にちっぽけな日暮れを迎える。そんな私はパリの白い虎。小さな素朴な好奇心…。あれ?1番ではたしか、私は川を流れていて、虎は台所にいて…。私は虎?虎は私?

そう、

これは現実世界のアドベンチャーではなく、密やかな脳内アバンチュールなのだ。

 

 メロディに当てる字足らず・字余りのバランスが絶妙。書きたい詩を音数で妥協することはせず、音への乗せ方とそれを心地よく響かせるadieuの声とで解消させている。

 というか、adieuの声の持つ、強烈な可視光線のような輝きと力強さは一体全体なんなのだろう。歌詞は、発された次の瞬間には過去のものになる。もっと言えば、音楽というもの自体が本来は一過性の瞬間芸術である。adieuの声はそのことを思い出させる。

adieuの声は最初からノスタルジーを帯びている。

 

 ある人にとってこの“旅”とは“恋”であり、“夢”であり、彼女にとっては“現実逃避”である。それは誰しもが考えたことのある「たられば」の類いであり、でも日々を暮らすための原動力であったりする。だから、この曲は“旅”を否定しない。むしろその“旅”を心地よく受け止めている。しかし、その“旅”を続けることまでをも良しとはしない。そろそろ現実を見て、大人にならなければ、と。

 でも、どうやらまだ口笛を吹くくらいの余裕は残っていて…。いつかは“旅”からの「旅立ち」を果たせたらいいのに。そんな風にして、日暮れはまた新しい朝日へと続いていくのだ。

 

酸素に包まれて、今日もこの星で狂えない

  2021/02/23
 トラウマ。文字にするだけでも気が滅入る。日本語にすると、心的外傷。内側で生まれ、閉じ込めておけずに外へ飛び出してきってしまった傷のこと。なんて、大袈裟に言ってはみたものの、じゃあ実際過去にどんなことがあったの?と聞かれて口にしてしまえば、「なんだ、そんなことか。」と一笑に付されて終いさそうさ弱いのは僕。でも、そうやって御笑覧されるにしても忍びないめくるめくくだらないあれやこれやがいつまでもココロ一丁目一番地を行く宛もなく彷徨して、そうこうするうち実績と信頼の絶望感が今週も感情ランキング上位にランクイン。だから今夜もご唱和ください「お前らと一緒にするな」。
 内側から突き出たナイフを無理矢理に押し戻して、化膿した傷口に音楽を塗る。そんな暮らしを生きている。しっちゃかめっちゃかといえばそうであるし、てんやわんやといけばそうであるし、むしゃくしゃといえばそうである内心と、泰然自若であり、冷静沈着であり、理路整然である外身とを、薄い皮膜が必死に間を取り持って、やっとのことで立ち上がっている177センチメートル。わずかな浸透圧で如実に噴き出る汗と、それによって効果覿面に形成される汗疹とが、『Self control』に不可欠となって久しい。折坂悠太の灯した『トーチ』を頼りに現在位置を何度も何度も確かめる不安症。若気だのなんだの、何気の至りでも構わんからとにかく突き抜けてしまえよと言い放っては今日もまた有言未実行のナルシスト。ちょっとの鼻炎でぴえんしても依然傷は癒えん。強がりのつもりで下らない韻を踏む。そしてまた追い越していく強い人。わざと去り際僕の足を踏む。そこまでして上を目指せる人の見えていなさへの幻滅と嫉妬で腹を下す。『そばにいてほしい』なんて言ったら殺されそうだ。『カナリヤ』の鳴き出す4月の末が遠い。いいねなんて要らないから、ただいいよと言ってくれ。

 

f:id:shimessi:20210226162232j:image

f:id:shimessi:20210226162245j:image

 

時々こうして、自分の奥底にある後ろ暗いものだけを見つめる。ブレイン・デトックス、と名付けた。今。

闇側に立てば自然と光が見えてくる、ということでしょうか、知りません。

正直者だけバカ見れる

   2020/11/23
 頼んでもないのに相手がしてくれたことはあくまで相手が勝手にやったことだから別にお礼は言っても言わなくてもいい、と思ってることをたまに人に話すとそれはおかしいみたいに言われるが、それはその人が勝手に「相手は暗黙のうちに自分にそれをを要求している」と感じたから何かしてやろうかなどと勝手に配慮する気になっただけであって、少なくとも僕は「頼まれてもないことはしなくていいし、僕も頼まれてもないんだから何もしません。僕は勝手にあなたの分もやってあげるかもしれないし、あなたが僕の分までやってくれるかもしれないけどそれはあなたの勝手でしょ」と思ってるから、社会はもっと僕みたいな人間も住みやすいように僕に適合してくれよと頼みたくなるよ。


 あーやれやれ阿吽の呼吸だの忖度だの。りゅうちぇるが言ってたよ「どんなに運命の人でも言わなきゃわからないでしょ!」。どなた様も「言葉にしなくても通じ合えてる」話が大好物なわりに人が死ぬと思いを伝え切れなかったと後悔するのが大好きである。今この瞬間から正直であれ。正直であることで起こり得る利益と不利益は、胸に秘められ生まれなくなった利益と不利益とさながらオセロの色彩のような緊張関係にあって、ただ一点口にした言葉が環境や外世界に与えうる影響の数だけが両者を隔てる。偉大な哲学者の崇高な思想も書に記されて初めて意味を成していることを我々は既に知っている。僕らの言わなかった世界はさながら妄想が雲であるように決して手中におさめることができないが、僕らは言った世界からその顛末を清濁併せ飲むことができる。そして僕らは行動の先に倍加した気づきを受容できる。それは愛があれば痛みが薬になるように、これからがこれまでのイメージをガラッと刷新するように、脳のシナプスで火花を散らす。その時初めて、僕らは感謝したいと、そう思い至るのだ。

 

f:id:shimessi:20201123170049j:image

f:id:shimessi:20201123170105j:image

「JUNO ジュノ」に“普通”は似合わない、そのままでいい。

映画なんだから、現実に対してこのくらいシャレが効いてていい。そしてこのくらいのシャレは効くものだから、この映画は現実的だ。


物事には表裏があって、あっちから見るのとこっちから見るのとじゃ大違い、というのは映画の見せ方としては基本中の基本なのだから、この映画は単にブラックユーモアたっぷりに世の中を見てる16歳の女の子からの視点なだけであって、結局それは僕らの世界そのものだ。

 


ジュノは序盤からずっと揺れている。

“セックスしてからたぶん2ヶ月と4日です

確かじゃないですけど”


というセリフが上手い。

全部が大切なような全部面倒くさいような何者かになりたいような今のままでいいような、そういうアイデンティティ確立期だからこその揺れは冒頭からずっとあって、そこに妊娠という外部的で内在的な要因が作用していく。妊娠に対して多少冷徹に見せるのも、ユーモラスに振る舞い続けるのも、“妊娠した自分”と客観的に向き合うための距離感を測りあぐねているだけで、彼女は最初から真剣だと思う。「まだ子供だから」と思うのはこちらの勝手な決めつけに過ぎない。

 


さらに言えば、彼女の出すべき結論はかなり序盤から決まっていた。ブリーカーの


“君なりの方法でやって”


というセリフがそのなによりの証拠だ。彼はあの時点でジュノのありのままを受け入れる準備が整っていた。口論になったときにブリーカーがジュノに対して「まだ君は子供だ」と言うのも、そのあと実はブリーカーの方は「僕も言い過ぎた」なんて謝ったりしてないのも(笑)、ジュノがいかに妊娠を通じて精神的に成熟し、自分を見つめることができたのかを物語っている。ジュノは最後になって、やっとブリーカーだけが


“私のお腹じゃなく顔を見てくれる”


と気づいたわけだ。

 

 

そしてもう一点、この映画が好きだったのは、誰も傷つけない描き方をしているところだ。養父母の関係は破綻したものの、必ずしもどちらが悪いとは言えないし、どちらも悪者にはしていない。最初は神経質で“やりすぎ”感のあった養母ヴァネッサにも純粋な子供への愛を見出し、ジュノの継母であるグレンから


“新米ママ 今は何もかもが怖い”


と言葉をかけてあげる。

傷つけられたのは超音波検査師ぐらいだろう。

数えるくらいの幸せ

   2020/09/12
 僕は合格報告が苦手だ。「なんとか達成できました」「すごいことを成し遂げました」と軽薄な自画自賛に陥ってしまうような、口にした瞬間そこがゴールになってしまうような、まるで自分の頑張りに自分で一区切りつけ、ここが限界ですとお終いにしてしまうような、一時的な承認欲求のために6速で回転させていた足にブレーキを踏んでしまうような、そういう気がしてならないから。
 何事にも志しは必要であるし、分相応に到達点を設定し、分相応にそれを志し、そして達成することは、讃えられるべきことだ、とは思うが、そのことは、他人に有難くご指摘頂いて初めて自覚的になるのが好ましい類のことであって、周囲には常に必ず分相応以上の到達点が存在していて、なのにそのことはすっかり頭から抜け落ちてしまっているみたいにして、大手を振るって万歳三唱するよりかは、尋常に一縷の苦渋を併せ飲み、己などまだまだと、我武者羅に行き着くところまで邁進するのがいいんじゃないかと、むしろそうすべきなんじゃないかと、そう思うから。
 最近、「数値化可能性」についてよく考える。例えば、米津玄師のニューアルバム「STRAY SHEEP」の最後に『カナリヤ』という曲がある。遂にサブスクリプション音楽配信へと進出した彼の楽曲の再生回数はより正確に計測可能になり、アーティスト【米津玄師】のページにいけば、再生回数順に全楽曲がランキング表示される。配信開始時期の関係もあって現在上位は軒並みニューアルバムの楽曲だ。そんな中『カナリヤ』は、上位に来てはいるものの、アルバム内では最下位。数値化は、人が何を聴いているのかを明確にする。そうであれば、これはこれで一つの正当な『カナリヤ』の評価だ。それがどんなに僕の中で大切な一曲であっても。合格報告は、祝福も数値化する。それがすごく生々しくて、僕は苦手だ。

 

f:id:shimessi:20200912204414j:image

f:id:shimessi:20200912204423j:image

本の虫ケラは狸寝入り

   2020/09/08
 この「原稿用紙2枚分の思い煩い」などという大層な表題でお送りする思考回路の書き殴り、本日で早くも12日目。分かったことが2つ。自分は文章を書くのは好きだが、それを人様に是非に!とお見せするほどの自己顕示欲も精神力もないということ。そして「毎日書かないといけない」と思っていると気が狂うということ。はい!ということでこれからは不定期になります。そう決めた途端にかなり筆が進んではおりますが。800文字あれば一通りのことは書けるということが分かった。それだけに恐ろしいのです恐ろしかったのです。それで、今日は本の話を少し。
 よく本を読むようになったのは割と最近で、小説は今もあまり得意ではない。それでも読める数少ない作家の1人が星新一で。彼のすごさは、2時間半の映画が作れるような展開を「ある日地球が滅亡しました」の一文で片付けてしまう豪快さにある。そんな星新一の短編集「きまぐれロボット」に『新発明のマクラ』という話がある。おなじみエフ博士が今度は寝ている間に英語学習ができるマクラを発明した。そこにお隣さんがやってきて、是非試しに使わせて欲しいということになったのだが、2ヶ月使っても効果がない。失敗作だったのかとエフ博士は残念がったが、実はちゃんと寝言は英語になっていたのだった…といった話。
 うん、寝てる時まで脳を酷使してたら死ぬよな。人間が人生の3分の1を寝て過ごすのはなにより脳を休めるためだ。だから勉強なんかせず良質な睡眠のため万全を尽くしたい。そのためにはベッドにパジャマ、お香にキャンドルなんかも重要云々…。星新一の世界は短く豪快。自分のような合理主義者にとっては、彼の物語は実利を語るための単なる虚構にすぎないのよ。とか気取って言いつつもショートショート一話で気持ちよく寝落ちできるようになったら最高なので楽しく読みます。

 

f:id:shimessi:20200908165545j:image

f:id:shimessi:20200908165555j:image

スパイダーマンは初代シリーズが最高なんよな、の話

   2020/09/07
 主演トビー・マグワイヤ、キルスティン・ダンスト、監督サム・ライミの初代スパイダーマンシリーズは本当に名作だと思う。特に、1作作目2作目は完璧というほかない。そしてなにより特筆すべきは、両作が上質なヒューマンドラマとして成立している点だ。“ヒーローじゃない”面を丹念に描いているからこそ、スパイダーマンとして生きることを宿命づけられた主人公ピーターの生きづらさ、2つの人生の狭間で葛藤するさまがひしひしと伝わってくる。そしてピーターがずっと片想いを続けるMJ(松本潤ではない)に自分の想いを伝えるシーン(これがまた一筋縄じゃないシチュエーションなので是非映画を観てほしいのだが)、そこの台詞が最高なのだ。
 “when you look in her eyes and she's looking back in yours... everything... feels... not quite normal. Because you feel stronger and weaker at the same time. You feel excited and at the same time, terrified. The truth is... you don't know what you feel except you know what kind of man you want to be. It's as if you've reached the unreachable and you weren't ready for it.”
(彼女を見つめると、彼女に見つめ返され、なんだかすべてが普通じゃないような、不思議な気持ちになる。自分がとても強くなったようで、それでいながら弱くなる。うれしくなり、それでいて怖くなる。正直どんな気持ちかわからないけど、どんな男になりたいかは分かる。まるでムリして手の届かないものに手を伸ばしてる感じだ)
 ヒーローとしてのジレンマすら表現し切るような神業的な台詞…。このシーンが映画のハイライト的に描写されていることからも分かるように、本シリーズはあくまで、ヒーローになってしまった単なる青年の悲喜劇として描かれている。それがアツいのだ。

 

f:id:shimessi:20200907185409j:image

f:id:shimessi:20200907185418j:image