753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

数えるくらいの幸せ

   2020/09/12
 僕は合格報告が苦手だ。「なんとか達成できました」「すごいことを成し遂げました」と軽薄な自画自賛に陥ってしまうような、口にした瞬間そこがゴールになってしまうような、まるで自分の頑張りに自分で一区切りつけ、ここが限界ですとお終いにしてしまうような、一時的な承認欲求のために6速で回転させていた足にブレーキを踏んでしまうような、そういう気がしてならないから。
 何事にも志しは必要であるし、分相応に到達点を設定し、分相応にそれを志し、そして達成することは、讃えられるべきことだ、とは思うが、そのことは、他人に有難くご指摘頂いて初めて自覚的になるのが好ましい類のことであって、周囲には常に必ず分相応以上の到達点が存在していて、なのにそのことはすっかり頭から抜け落ちてしまっているみたいにして、大手を振るって万歳三唱するよりかは、尋常に一縷の苦渋を併せ飲み、己などまだまだと、我武者羅に行き着くところまで邁進するのがいいんじゃないかと、むしろそうすべきなんじゃないかと、そう思うから。
 最近、「数値化可能性」についてよく考える。例えば、米津玄師のニューアルバム「STRAY SHEEP」の最後に『カナリヤ』という曲がある。遂にサブスクリプション音楽配信へと進出した彼の楽曲の再生回数はより正確に計測可能になり、アーティスト【米津玄師】のページにいけば、再生回数順に全楽曲がランキング表示される。配信開始時期の関係もあって現在上位は軒並みニューアルバムの楽曲だ。そんな中『カナリヤ』は、上位に来てはいるものの、アルバム内では最下位。数値化は、人が何を聴いているのかを明確にする。そうであれば、これはこれで一つの正当な『カナリヤ』の評価だ。それがどんなに僕の中で大切な一曲であっても。合格報告は、祝福も数値化する。それがすごく生々しくて、僕は苦手だ。

 

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