日本語
「熱風 2018年10月号」の
『山口仲美ロングインタビュー』が
最高だったので、若干シェアしたいと思う。
・日本人は昔から文字で遊ぶのが好きな民族
奈良時代には
南向山「きたやま」
二八十一「にくく」
十六「しし」鹿や猪のことを指す
など、当て字による言葉遊びが当時から存在しており、キラキラネームは最近に始まった問題ではない。
枕草子の作者、清少納言が仕えた中宮定子は“テイシ”と呼んでいるが、読み方がわからないから仮に音でテイシと呼んでいる
・平安文化が花開いたのは、「話し言葉」を残せたから
文字が借り物の漢字しかない奈良時代、日本固有の事物や名前、そして中国語にはない助詞や助動詞、敬語表現を書き表したいときに、日本独自の使い方を見つけ出したのが、
「万葉仮名」。つまり、表意文字である漢字を表音的に使ったのが、「万葉仮名」。
とくに和歌のように表現意図通りに読んでほしいときには万葉仮名は大変便利。
もっとも、万葉仮名は元々が漢字のため画数が多く、効率が悪い。そこで、漢文訓読の際、漢文の狭い行間に書けるよう漢字が省略された。
例えば「止」
字というものは、一点一画からなると考えると、最初の画をとって「ト」にする。
字というものは、全体がつながっているものだと考えると、一筆で続け書きして「と」が生まれる。
ひらがなはサラサラと続け書きなので文字自体が流麗なため、男女の和歌のやりとりもルーツとなった。
・論理的な言語に進化した鎌倉・室町時代
文中に「係助詞」があろうがなかろうが、余情が込められるという理由で連体形で文を終始させることが広く行われるようになり、鎌倉・室町時代を通じて「係り結び」の法則が崩れた。
「花、咲く」と表現していたものが「花が咲く」のように、主語・目的語などを明確にする助詞「が」「を」が使われるようになり表現が論理的になった。
平安時代までの「開いた表現」から、「閉じた表現」になった。
「接続詞」もこのころから多く使われるように
・日本語の近代化は江戸時代から
政治の中心が江戸に移り、江戸を中心とする言葉が中央語となって現代に連なる。
ハ行音
「ファ」「フィ」「フ」「フェ」「フォ」が
「ハ」 「ヒ」 「フ」「ヘ」 「ホ」に
「くわんおん」から「かんのん」に
江戸時代に現代の発音とほぼ同じになる。
当初は武士言葉を使っていた武士(「拙者」「それがし」)も、町人の数が増え、文化の担い手になり、武士と町人の接点が増えていくと日常生活では下町言葉を使うように。
書き言葉は記録され昔の形が継承されていくが、話し言葉はどんどん変わっていくため、江戸時代には両者の間に絶望的な距離が生まれてしまい、落語に出てくる熊さん、八っつぁんのように、話せるけど読めないかけない人が続出した。
黒船来航により日本が遅れを取っていることが分かったとき、その理由が話し言葉と書き言葉が違いすぎることにあるといち早く気づき徳川慶喜に「漢字御廃止之議」を建白したのが、のちに「郵便制度の父」と呼ばれる前島密。
・言文一致は文学者たちの間でも受け入れられるまでに時間がかかり、公用文にまで普及するのには80年かかった。
・話し言葉の基本路線は明治政府になってから45年経った大正2年に確定。
新政府の主導権を握るのが薩摩・長州出身者だったため、「中央語」を薩摩弁にする動きもあったが、議論の末「東京で教育ある人びとの間で使われる言葉」つまり山の手言葉が「標準語」とされ、その他の言葉は「方言」とされた。太平洋戦争後は、標準語以外の方言を認めないという排他的な姿勢に繋がりかねないということから「共通語」と呼ばれるように。
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という感じで。
後半はジブリ作品における日本語と日本文化について語っていたり、若者言葉や外来語、敬語について、まさに「目からウロコ」ものの話が連発。スルメも逆立ちである。
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