753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

メモの墓場

呟くには長く、綴るには短く

言うに値せず、然れども言わざるは寂しく

成仏して呉れ、此処はメモの墓場

墓標押っ立て、狂瀾を既倒に廻らす

(訳:メモアプリの整理したいのでエッセイとも論考とも言い難い文章をまとめて載せておきます)

 

 

注意:語気が強いものや断言的な文章が多いですが、個人的なメモですので、自分に言い聞かせるための口調です

 2019/01/02

シンギュラリティ到来後の世界が、人間が自らよりも賢いものを使う世界なのであれば、それは一人一人が総理大臣になるようなもの。まるで国家の乱立。試されるのはリーダーシップと先見の明。

 

2019/03/24

全然考えてないやつは自分よりも考えてるやつや自分と違った見方をしてるやつのことをひねくれてると言ったりそれはうがった見方だと言ってけなそうとしたりする。

 

2019/03/30

情報は増大の一途を辿り、検索は困難さを増すばかり。

教養とは、検索に引っかからない知識を持っていることをいう。

 

2019/04/06

ハリウッド映画見たことあんだろ?

あいつらが踊るのは楽しみ方を知ってるからだ

いいことあったら踊るんだよ

 

2019/04/07

人間がつまらなくなるのは好きでもない仕事を何年もやってるからだ

子供は好きなだけしてる

子供はいいよなあじゃなくて、仕事を好きになるか、いますぐその仕事を辞めるかするんだよ。

 

2019/04/08

死ぬことの原因が生まれたことであるのを認められないような奴は一丁前に生きる意味とか考え出して挙句幸福を自分の外側に見出そうとするんだよ日々是好日とは程遠い。この一瞬一瞬が生きるか死ぬかの分かれ道であるという現実から逃避してなんになる。永遠に生きたいと思うのか?

 

2019/04/11

最近死についてよく考える。

いつ頃考え始めたかも、考え始めた理由も覚えていない。

まあきっかけがどうであれ考えているのだが、

 

とにかく、人はいつ死ぬかわからない

 

最近彼女のことが好きすぎてよく泣いているのだが、そんな彼女もいつか死ぬ。思いもよらないタイミングで死ぬ。相場はそう決まっている。

僕も同じような運命をたどるわけで。

思い通りのタイミングで死ねたらどんなに楽だろうか。また死んでくれたらどんなに楽だろうか。

 

いつ死ぬか分からないと言っているのに、人が死んだときに思ったよりも早く言ってしまったなぁと思うことがある。人が死ねばその死んだ時が寿命なのであるが、不思議なことにその寿命に対して全うできたとか、できなかったとか、思い残したことがあるとかもう思い残すことはないとか、どうにもこうにもその長短で良し悪しを判断してしまうきらいがある。きらいだ。

 

2019/04/12

グランドイリュージョンでジェシーアイゼンバーグも言ってたように、近づけば近づくほど、逆に見えなくなるということはある。

現実はイリュージョンより奇なり。

富士山🗻は遠くからは美しく見えるが、近づいてみたらガラクタ山だったとか、そういうことはよくある。

まして手に触れられるようなものはベタベタ触れられるのをいいことに全て分かった気になって、終いには目の前にあるのに何も見えていないようになってしまう。

ゲシュタルト崩壊するのは文字ばかりではないのだ。

 

2019/04/14

自分ができないことを人に指摘すると、「お前はどうなんだよと言われる」、逆に自分ができることを人に指摘すると、「人に押し付けるなよ」と言われる。

 

2019/04/20

Tinderで出会った子と、ひたすらオススメのご飯屋さんを紹介し合った。ある日彼女は突然アカウントを消した。

 

2019/04/20

ブログを始めたり、今までなら控えてたようなものまでツイートするようにしたり、

他人の共感を無理に得ようとせず、ありのままの文章、感情、感覚で、

自分の中の恥ずかしいものを恥ずかしいまんまで外に出す活動を始めてもうそろそろで3ヶ月。

 

ほんともうなんか、興ざめするくらい痛感した

 

みんな人の恥ずかしいものに冷たい

 

「もっと自分に興味持ってよ!」とか、

「ぶっちゃけてんのにいいね来ないなあ」とか、

全然そういうんじゃない。

 

まるで自分は清廉潔白で純潔な一縷の穢れもない健康優良ハイテク無煩悩人間ですとでもいうくらいの、それぞれの中にある恥ずかしいものを白々しいくらいないがしろにした冷たさ。

自分にもあるものなのに、人がそれを外に出した途端知らんぷりをする薄情さ。

 

恐怖を感じた。

それは、我慢を強いることへの恐怖。

寛容のかけらもないことへの怖さ。

 

多分中にはこう言う人がいる、

「みんなも言いたいけど言わないで頑張ってるんだよ」

「自分だけスッキリして気持ちいいか?」

「弱音を吐くのはダサい」

我慢が美徳の人がいてもいいと思う。我慢しなければ達成できなかった偉業もあると思う。いつでも気高く在ることはとても善いことだと思う。

でもそれは他人に向けられてはいけない、自分と同じ考えや行動を他人に押し付けてはいけない、と思う。

 

こうあるべきとか、こうすべきとか、べき論みたいなものは自分の信念として持つ分には立派だけど、人に強要した時点でクソだせえ。

べき論は押し付けるべきではない。

これは唯一許されるべき論だと思う。

 

人の背中を押してくれる人は、令和の時代に生き残ってるのだろうか。

寛容な世の中であってほしいね

2019/04/22

ヤンキーにすごく興味がある。

だってヤンキーと哲学は相性がいい。

ヤンキーほど学生時代に自分の存在意義や将来について、はたまた人生について考えている奴らはいない。

 

実存主義提唱者の1人であるドイツの哲学者ハイデガーは、人間とは「死への存在」であると言った。

人間は、普段死に直面する不安から逃避し、日常性に埋没している。しかし、死を直視し自覚することで本来の自分の生き方を確立することができる、と。

このハイデガーの思想を端的に表現した歌がある。

amazarashiの「スピードと摩擦」

 

 

この曲の着想について本人は、

IMG_5895.jpeg

と語っている。

 

分かりやすく言うならば、

人間は「死ぬかと思った。。」と思うようなことでもないと、生きていることを実感できない、ということ。

 

真面目に生きてきたやつに限って人の言うことばかり聞いて、物事を真剣に考えていないから自分が何のために生きてるのかも分からず気づいたら「あ、」つって死んでく。