753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

ことばのライブラリ

どこから拾ってきたのかも忘れたここ最近の言葉収集の記録

 

日々是好日

ーー雲門和尚

 


過ぎ去れるを追い念うこと勿れ、未だ来らぬを待ち設けること勿れ。過去は過ぎ去り、未来は未だ来らざればなり。ただ現在の法を観よ。うごかず、たじろがず、それを知りて、ただ育てよ。今日なすべきことをなせ

ーー釈迦 「中阿含経」より

 


過ぎ去った過去は、すでに捨てられたものであり、未来は未だ至らざるものである。であるから、何があっても動揺することなく、今ここにおいて自分を見極めて、「今、ここ」で何をすべきかということを見失ってはならないのです。人間は生き物である以上、いつどうなるかわかりません。いつ死んでしまうかもしれません。この「常なるものは無い」という無常な現実を目の前にしたならば、1日1日への臨み方も変わってくるのです。「今ここで何をしていくべきか?」ーこのことを日々全うしていくことができれば、そこに悪日はありません。毎日は好日でしかないのです。

また、夏の風物詩である「幽霊画」も、ゾクっと背筋が凍るようなひとときとともに迷える私たちに、同じことをメッセージとして届けくれます。

風に揺れている黒く長い髪の毛は、「後ろ髪を引かれる」というように過去への囚われ。「恨めしや」と前に垂らした手は、未来への執着。ふと足下を見てみると、地に足がついていません。過去や未来にばかり気をとられ、肝心な「今、ここ」に心が置かれていないのです。この不気味な姿をみて、私たちは今、まさに目の前のことを大切にしなくてはならないことに気づかされるのです。

ーー龍雲寺住職 細川晋輔

 


異形を恐れるは己の無知ゆえ

ーー光月おでん

 


もしもあなたが本の中で心から共鳴できる誰かと出会ったら、それは、自分の外側ではなく、内側に友達を作ったということです。

ーー作家 森絵都

 


幸福とは、幸福を問題にしない時をいう

ーー芥川龍之介

 


女を悪く云う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである

ーー仏の文人 グールモン(堀口大学訳)

 


地域での活動の入り口には、「正しさ」ではなく「楽しさ」が必要なのです。

ーー山崎亮 「週刊医学界新聞」3月25日号より

 


自己の権利が蹂躙されるならば、その権利の目的物が侵されるだけではなく己れの人格までもが脅かされるのである。権利のために戦うことは自身のみならず国家・社会に対する義務であり、ひいては法の生成・発展に貢献するのだ

ーーイェーリング

 


他人の不幸を否認することでしか自身の幸福を確認できないのは寂しい

ーー弁護士 南和行

 


世の中で最も危険な思想は、悪じゃなく、正義だ。悪には罪悪感という歯止めがあるが、正義には歯止めなんかない。だからいくらでも暴走する。過去に起きた戦争や大量虐殺も、たいていの場合、それが正義だと信じた連中の暴走が起こしたものだ

ーー山本弘『翼を持つ少女』より

 


古いものを壊すことは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!人が生きて、死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!新しいものばかり飛びついて、歴史を顧みない君たちに、未来などあるか!少数者の意見を聞こうとしない君たちに、民主主義を語る資格はない!

ーー風間俊 「コクリコ坂から」より

 

 

ぼくのおなかでいきててね

 


人生の切断面

 


颯颯と箒でまとめられ

 


あきめくらは集って

眠たげにコーヒーをすすり

鍬をかつぎ

一羽の鳩も飛ばさない

三文手品師の一行に

故なく花を投げたりする

 

風景画ですが、自画像を描いてきたつもりです。

 


既に彼らとは違う生物になってしまいました。

 


そんなつもりじゃなかったというか、どんなつもりでもなかったんだけど、なんだ、まあ、ともかく、明日の予定は決まったわけだ

 


手作業で季節を切り替える

 


街全体の雰囲気の新旧感は別として、建物や構造物を一点一点見ていると、それぞれが作られた年代がばらばらで重層的なことに気づくときがある。夜空の星座の隣り合った二つの点がじつは全然違う距離にあり、この奥行きのことを考えて途方もない気分になるのに少し似ている。

 


きれい、ってシャッターを押したときの想いごと写ってる気がして、うれしい写真

 


自らに与えられた芸術家としての使命を全うしようとする、1人の人間の発する夥しい熱量

祈り〜ノートルダム大聖堂の軌道

ノートルダム大聖堂が燃えてる」


という事実だけがまだ寝呆けていた耳に飛び込んできた。そっかー、残念。といった感じ。

昨日はいつもより早く眠りに就いたのに、今朝はやけに体が重かった。寝覚めも悪く、本日もスロースタート見切り発車で出発進行。


うとうとしてちゃんとテレビを見ていなかったので、

ノートルダム大聖堂で火災”

“ロンドンにある”(後にパリにあると知る)

“向こうは現地時間で深夜1時過ぎ”

“涙を流し抱き合う人々がいた”

という断片的な事実しか入ってこなかった。

あまり気にならなかった反面、それら断片はぼんやり頭の中で反芻されていた。おかげでハンカチと時計を忘れ、駅に向かう途中で一旦取りに帰る。


無事予定通りの電車に乗る。

改めて事態を確認しようという気になりTwitterを開く。

大聖堂に向けて、ロンドン市民がアベマリアを歌っていることを知る。

急に悲しく、切なく、怖く、悔しく、苦しくなる。

 

 

人には「存在が支えになる」対象があると思う。

大切な人や尊敬する人であったり、忘れられない場所であったり、思い出の品だったり。

「神」への信仰もその中の1つ。でも人種性別国籍を問わずみんなが共通して信じ、頼り、心の支えにできる点、各人にあるそれぞれの「支え」とはその性質を異にする。

だから、「宗教」には力がある。

それが良い方向に作用したことも悪い方向に作用したこともあったのは歴史の知るところ。

奇しくも日本では後者であったことが多く、結果として「宗教」への無関心や偏った見方が強くなってしまったようで残念に思う。


以前は「無宗教者」=「信念のない者」「悪」「ヤバイやつ」といった強迫観念的な価値観があったようで、

https://www.cnn.co.jp/usa/35135718.html

今では海外でも無宗教論者は増えてきたようだけど、それでもやはり向こうでは信仰する宗教があるというのがordinaryなことであるのには変わりない。

日本人は無宗教者が多いというわりに宗教イベントが多いし、

向こうで無宗教者でいることは、必ずしも「宗教を必要としない生き方」という意味では捉えられない。

結局は神を信じようが信じまいが、

重要なのは自分の中に信念(譲れないもの、ここだけは曲げちゃいけないというもの、軸)があるかどうかの問題なのか

 

 

とにかくそこに祈りがあった。

そして彼らの祈りの対象が今目の前で焼け落ちている。

テレビスマホの向こう側の知らない人たちの悲しみを自分ごとのように感じるための事実としては十分だった。


それは「支え」としてのノートルダム大聖堂が自分の中にもあるということだし、祈りの軌道が物理的な距離を無視して僕まで弧を描いたということ。

共鳴とか繋がったとか言えば聞こえ良いがそんな綺麗なものではない。

 

 

「宗教」には力があると言ったが、

それは「祈り」に力があるからだ。

 

 

目的地到着。

あ、そうか。と今になって気づく。

今朝の目覚めの悪さ、身体の重さ。

悲しい祈りが弧を描く。

イッツ・ギンザ・トーキョー

銀座が好きだ

 

お高くとまった人、外連味なくお洒落な人、若い頃からずっと来てるのであろうベテラン着物マダム、青くて黄色いシティボーイズにシティガールズ、、、

誰しも一度は歩いたことがある銀座大通り、高級ブランドが立ち並び金色の輝きギンギラギンにさりげなく。雰囲気はファビュラスでゴージャスでラグジュアリー。

でも、1本、いや2本(ここはさすがGINZA)路地に潜り入れば下町風情漂わせた居心地のよ~い親しみやす〜い一面を見せる。ここらにはグルメな店が溢れてる。最近の銀座は庶民に優しいコスパランチの宝庫でもある。そんな2面性のある銀座が好きだ。

 

大通りを歩いていても、自分みたいな中ぐらいの人間は目立つことはない。雑多な人混みに紛れ、背景に溶ける。少しくらいスキップしても気づかれないんじゃないか?というほど。銀座という街は、一見よそ者を寄せ付けない敷居の高さを感じさせつつも、一度足を踏み入れたものには決して冷たくしたりなどせず、来るものを拒まない寛大さを持った街でもある。そんな気高く懐の深さのある銀座が好きだ。

 

“多様性の街”というと渋谷を思い浮かべる人も多いか。しかし包容力では銀座も負けていない。なにせここは歴史が違うのだ。この街は何十年も首都・東京の中心地として君臨してきた実力と実績とがある。

論より証拠、

原宿 ベース・ヤード・トーキョー

表参道 RAW TOKYO

芝公園 東京タワーに浅草 東京スカイツリー

アイデンティティーの確立のため、東京の名を冠してその力に頼ろうとするところは多い。

 

しかし、銀座は違う。

銀座には銀座自体が持つブランドがある。

ギンザブランドがある。

例を挙げればピンからキリまで。枚挙にいとまがないキリがない。

さらに言えばだ、

銀座スカイラウンジ

Book Tea Bed 銀座店

銀座キャピタルホテル

お前らは銀座にねえだろ!!!!!

それでも銀座の名を欲してしまうのだ。

東京ではなく、銀座の名を借りたくなるのだ。

それこそが銀座の覇王色、銀座が銀座たる所以である。

GINZAである。

そんなオリジナリティとスペシャリティのある銀座が好きだ。

 

 

今回はそういう話。

 

 

 

 

経年劣化と雨ざらし

電車を待っていると、ホームには何本も長蛇ができているのに、男は自分1人だけだったことに気づいた。“普通”なんて言葉を使いたくはないが、他の男の人だったら普通もう少し早く気付けていたんじゃないかと思った。そんなふうに考えているうちに後ろからも蛇がやってきて、大蛇の鱗の禿げた部分みたいに自分だけが周りから浮き出た。(実際身長的にも自分だけ浮いてるんじゃないかと思うほど差があったし、だから男が自分だけということにも気づいた。)

気づくのが遅れたと思ったのは、ここ最近自分と女性との距離感についてよく考えていたから。

我が家ではあまりに当然のことであり、「どうして僕ん家だけ違うの?」なんて純粋な眼差しを母に向けるほど他の家庭に対する関心も興味もなかったから、自分が小学校に上がる頃にはほとんど父が家に帰って来ないという状況が出来上がっていたが、そのことについて何か違和感を感じることもなく、ほとんど僕は女手一つで育てられた。父はその頃から浦安にアパートを借りて仕事場兼アジトのようにして暮らしていて、年々帰宅率は減少、今では2割を切った。

 


今になって思えば、自分が小学生の頃からなんとなく感じてきた、「男はバカすぎて話にならない。女と喋ってた方が楽しい」という感覚は、どうやらここら辺の家庭事情に起因するのだろう。

 


「父が帰ってくることになるかもしれない。」

二匹目の金魚を手に入れ(前記事参照)、吉祥寺に母と移動し、バカ美味いクアトロフォルマッジが食える店に入った後少しして、母にそう言われた。

率直に言って、最初に感じたのは

「めんどくさ!」

だったが、「へぇ、あっそう」と答えた。

最近仕事場が浦安から多摩の方に変わったやら、二重生活を続ける金銭的負担やらなにやら。

家に帰ってくるのが嫌なのは父も同じらしく、また新たに安アパートを借り直す案も出てるらしいが、我が家の過渡期がすぐそこまで来てるのは確か。

 


家族というのは不思議だなあ。

 


正解というのは得てして存在しないが、だのに得てして正解は求めてしまうものだ。

我が家の正解が変わるのか、不正解だったから変えるのか。3人の正解は同じなのか。誰かの正解が誰かの不正解でありはしないか。

時の流れが解決するのか。時の流れが問題だったのか。

 

 

 

そういえば、駅にチャリで向かう途中、駅までの道のりにある公園を抜けたところに、新しく第5駐輪場が突如出現していた。突如というのは、建設途中を全く目にしなかったからだが、まあ建設というほどでもない道の端っこに作られたチャリを止めるための金属群なのだから他所で作ったのを持ってきて嵌めるだけだったのだろう。その新しい金属群が西日に照らされてピッカピカに光っていたからか、停まっているチャリたちもどれも新品に見えた。新しいものは周りのものも新しく見せてくれるのか。

 


今はまだ電車に乗ってる。

後輩ちゃんからの支援要請で新歓に参加するため東京に向かう。

輝かしい未来に照らされてピッカピカに光っている新入生たちと話せば、自分もまた新品みたいに光って見えるのか。

できることならお願いしたい。

 

 

ところであの駐輪場、屋根がない。

新しくできたものがいつまでも1番新しく見えるわけではないのね。同じ時間でも、風雨にさらされた方が先に薄汚れる。

 


みんなうちのサークル入ったらいいじゃんね

雨風くらい防いだるっちゅうねん

二匹目の金魚

久しぶりに高円寺のヴィレッジヴァンガードに行った。

自分にとってあそこは好奇心とか向上心とかの源で、行くたびに新たな発見に溢れている。

世の中はかなり広くて、自分にとって未知の世界がまだまだ存在しているが、その中には死ぬまで知らなくても問題ないものもけっこうあるよ、ということを教えてくれる。

 

行く度に大量に品を買う。

昔は雑貨が多かったが最近は本が増えた。

更に最近でいうとマンガが増えた。

僕は長編マンガよりも2,3巻で終わるものが好きで、長くても10巻までには終わって欲しい。

ワンピースとコナンは今でも読み続けているが、この手の長編をいまから読み始めるのはかなりしんどい。時代の流れから言ってもこれからは長編はかなり生き残りは激しくなるだろう

中でも1巻読みきりモノがすごい好きだ。

ストーリーは別になくていい、最近のマンガはエッセイっぽいものも多くて好きだ。

昔はマンガといえば娯楽色が強かったのだろうが、最近は情報発信の一方法という色彩が強いように思う。

 

じゃあ、

この本は何色が強いと言えばいいのだろう。

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「二匹目の金魚」白泉社

「楽園」という漫画誌で連載しているpanpanya さんの短編集で、とにかくどの話も着眼点がすごい。

いや、正確に言えばすごいのは着眼点ではない。

着眼しているのは普段我々がみているものと同じものである。

ただ、その着眼の深度が違う。

普段何気なく見て、素通りしている部分を分析し、深掘り、時に新たな意味を見出し、時に考えさせる。

 

例えば、引き出しの中の小物に着眼した作品では、その利用頻度と引き出しの中での位置関係について分析している。

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こういう“気づき”ともいうべきものが溢れている。

 

またマンガであるからには絵のタッチが重要だがこの点も魅力の一つ。

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この柔らかなタッチから描かれる恐ろしいほど淡々とした非日常、不思議な世界

おかげでけっこう分厚めの本なのにあっという間に読み切ってしまった。

 

毎日を楽しむ大切さと

楽しみにすることの大切さ

その両方を感じた。

 

春雷に背中押されて桜ん坊

幕張のさくら広場

入場無料。500本以上の桜が丁寧に咲いている。

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無垢な世界だった〜

 

 

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全てがピンクの世界だと、

老若男女いかなる人間もウキウキするしかないらしい。

頑なに囲碁の本から目を離さない車椅子のおじさんを除いて。(笑)

 

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どこからか入学式終わりのフレッシャーズがやってきていて、ランドセルを背負ってるんだか逆に担がれてるんだかわからんような足取りで花びらみたいにヒラヒラ走り回っていた。

親御さんはというと、一緒に桜を満喫〜ともいかないようで、必死の形相でカメラのシャッター魂の16連写。

記念にはなるだろうけどさ、案外子供が大きくなってから見たいのって、小さい頃の自分より、その頃の自分を見てる親の顔だったりすると思うんだよな。

一緒に楽しんであげて〜

 

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桜の方でもぼくらを見てるなら、こんなに一時期だけ神かのように崇め奉られる自分たちをどう思うんだろうか。草生やしてるだけの夏や裸になった秋冬の頃の自分たちに対する無関心、桜の木だとも分かってもらえないもどかしさ、

ごめんね〜。心中お察しします。

 

 

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年1回ちゃんと花見に行くとして、

あとなんかお目にかかれるだろかね。

お互いその時までお体には十分気を付けて。

「もう無理…」と思う前にすること

 自分用にまとめたものを共有します

 

  1. とにかく言葉にして吐き出す
  2. 運動する
  3. 目をつぶって、耳を手のひらで塞いで数分情報を遮断して無心になる
  4. プレゼントを贈る
  5. 本を読む
  6. 最後に

 

新たな出会いや生活の始まる季節。

色々とストレスも溜まる季節。

精神的なダメージもそうですが、それ以上に体はストレスに対して正直なもの。

ストレスなんて放っておいても何もいいことないです。

 

そこで、あくまで個人の経験(プラス若干の知識)によるものではありますが、

ストレスと上手く付き合っていくコツのようなものがいくつか見つかったので

紹介したいと思います。

 

5つ紹介しますが、全てに共通することを先に言っておきます。

わかってることとは思いますが念のため。

 

抱えている不安や不満を打ち明けづらい世の中になってきたからこそ、

ストレスは溜め込んじゃダメです。マジで。

毒は全部出しましょう。

 

 

 とにかく言葉にして吐き出す

ストレスを感じるのは、たいてい自分の中にモヤモヤしたものが溜まっているとき。

なので、そのモヤモヤとした気持ちや感情を、

目で見れるように視覚化して自分の現在の状況を客観的に把握することが大切です。

経験上効果的だった方法としては、

  • スマホのメモアプリにポエムっぽく書く
  • 紙に起こしてブレスト
  • 日記に書く
  • Twitterの下書きに残す
  • たまにしか会わないけどけっこう仲の良い友達とあって話す

などがあります。

 

スマホのメモアプリにポエムっぽく書く

なぜポエムかというと、感情的な文章にしすぎないためです

昔から優れた芸術家は自分の中のどうにもできない感情を芸術へと昇華させてきました。

あとはポエムの方が後で見返したときに面白いです。ウケます。

 

紙に起こしてブレスト

ブレストとは、ブレインストーミングの略です。

もともとは会議などにおいて、参加者全員が「質より量」「批判禁止」などの原則の下、ひたすら意見を出し合うというアメリカで開発された集団思考技術のことですが、

要は紙にひたすら思いついたことを書いていくということです。

今の気持ちでも、不安なことでも、欲しいものでも、やりたいことでも、なんでもいいのでとにかくまず

①頭の中のことを全て書き出すイメージでどんどん書いていきます。

それが終わったら次に

②内容ごとに分類分けします

今すぐできること、期限付きのタスク、いまは後回しにしていいことなどのように分類して頭の中を整理しましょう。

その他の欲しいものややりたいことはメモを残しておくと後で簡単に見返せますね。

 

日記に書く

これはブレストと同じようなものなので割愛。

毎日書く習慣がない人には余計なストレスですかね(笑)

 

Twitterの下書きに残す

これもブレストと似ていますが、Twitterの下書きというのはけっこう便利な機能です。

一度人に見せることを考えて書かれたというのが重要です。

 

たまにしか会わないけどけっこう仲の良い友達とあって話す

これは少し意外かもしれませんが、

自分の気持ちを見える化するには、文字にする以外にも相手の表情を見るという方法もあります。

たまにしか会わないからこそ言いやすいこと、ありますよね?

別れてから妙にスッキリしている感覚は経験がある人もいると思います。

 

運動する

セロトニンという脳内ホルモンを知ってますか?

 

セロトニンは別名 幸せホルモンとも呼ばれていて、精神状態を落ち着かせ、イライラを解消する効果があると言われています。

そして、そんなセロトニンを放出させる1番簡単な方法

運動なんです

心が疲れていても体が疲れていないと、うまく寝付けないということも。

またその際の運動ですが、ウォーキングやランニングでも大丈夫ですが、

人によっては逆に色々と考えてしまうということもあるので、

僕はボールを使う系のスポーツを推奨します。

まあそう簡単に環境が見つからないとは思いますが(笑)

 

目をつぶって、耳を手のひらで塞いで数分情報を遮断して無心になる

これは唯一完全な僕の経験則です。

ちょっとしんどいな。と思った時に是非やってみてください。

それまで自分が浅く息をしていたこと、手のひらからかすかに聞こえる脈の音、

ゴオオオオオオオオという音の中に気づきがあると思います。

 

プレゼントを贈る

実はこのブログは最初から誰かの避難場所として使ってもらえるようにしてあって、

専用のメールアドレスが用意してあります。

thinkingreedscoffeebreak@gmail.com

この記事のコメント欄でも、このアドレスにでもいいです。

何か聞いてもらいたいこと、相談したいこと、オススメのストレス発散法など

送ってくれた方の中から、僕が特に何かを感じたコメントをくださった方に、

ささやかながらコーヒーチケットを贈りたいと思います。

この場合僕が送る側になってしまいますが(笑)

きっと何か感じていただけるかと。人との繋がりや、価値が2倍になる感覚を。

 

本を読む

森絵都さんがこんなことを言っていました。

もしもあなたが本の中で心から共鳴できる誰かと出会ったら、それは、自分の外側ではなく、内側に友達を作ったということです。

まあ本を読むことのメリットは今更説明するまでもないですね。

 

心を軽くするという目的に絞って、選書しました。

長編小説ではなく、エッセイや短編など即効性の強いものを中心に選んだので、

是非読んでみてください。

おすすめです。

 

 

 最後に

 これ最初自分のためにまとめ始めたんですよ。

こう言う時はこう対処しよう、みたいのを決めておこうと思って。

ストレスを逃すのはけっこう上手い方だと思っているんですが、

それでもどうにもならなくなるときはあるので、、

誰にでも自分にあった対処法はあると思います。

わざわざ言われなくてもわかってるとも思います。

でも改めて言われてみないとわからないこともあると思います。

 

ほんとはなんでも人に話せたらいいんです。

ツイートできたらいいんです。愚痴れたらいいんです。

でもなぜかそういうことを言う人を弱い人間だと決めつけて、冷たくしようとする世の中になってきたように思います。

僕は嫌です。だってお互い様なはずなので。

 

この身が生きのびるために言葉や態度に載せて排出した毒を吸ってくれる者がいて、だからこそいまこうして生きて在る。

僕の好きな内科医で芥川賞作家の南木佳士という人の言葉です。

 

世知辛いよねえ。

僕でよければ聞きます。

コメント欄でもメールでも thinkingreedscoffeebreak@gmail.com

お互い様じゃないですか。ねえ?