753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

宇宙のまばたき

さて目の前に宇宙が見える。よく考えてみたらどこを見ていてもその先には宇宙があるわけだが今はそれは考えない。そこに自分勝手に星を浮かべる。置くといってもいい。なんなら据えるとでも。それだって自由だ。何はともあれ星をそこに配する。どうせだから欲張って他にも3,4個散りばめてみよう。あまりに傲慢だがさらに数個ばらまいてもいい。今ここでは勝手気ままが許される。するとどうだ瞬く間に星たちに関係性が生まれる。星座だ。星たちが座ると書いて星座なので、さっき考えていたものの答えが出たな、星たちの腰を据えてやるのが正しい。しかも多分正座だ。いや、間違いない。ちなみに瞬く間と言ったが、これは要するに瞬く間のことなのだが、これはおおよそ0.1秒くらいの間のことである。まばたきに“瞬”の字を当てたやつは天才かと思う。人間の記憶というのは不思議なものでこの瞬き運動と密接に関連している。言うなれば瞼がシャッターを切るといった感じ(瞼は目の蓋と書いて目蓋の今なのでこれを考えたやつも天才だ。多分同じ人だな)。シャッターを切るたびにその瞬間瞬間(瞬く間)が脳に送信され、脳のカメラロールというのは容量無制限なので、永遠に保存されまくっているもちろんこれを読む瞬間もパシャりパシャりパシャり。そして銭婆曰く「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」だそうなので、どういう結論が導かれるかというとつまりドライアイの人の方が記憶力がいいということになる。それかもしくは記憶の解像度が高い、あるいは記憶がより滑らかな映像として脳によって後から再現可能になる。なので、今もなおブルーライトを浴びまくっていることにより視神経が過剰に刺激され、悪くすれば視力が下がり眼精疲労生活習慣病を発症するかもしれない人ほど、当然ドライアイになりやすいもしくはドライアイである可能性が高いので、この駄文が最初は宇宙の話をしていたことを覚えているか瞬く間に思い出せるわけである。長くなったから宇宙の話はまた今度のまばたきにしよう。

「今度声かけてくださいな」

お久しぶりです〜

最近どうでした?パスタ巻いてました?(Hi-Hi参照)

 

なんで更新していなかったかというと、

なんで更新していなかったんだろう、、という感じ(笑)

強いて言えば最近もろもろのSNSの使い道について考えていて、

どこからどのようにどの程度インプットして、

どこでどのようにどの程度アウトプットするか、色々研究中ではある。

僕の収集欲や学習欲は必ずしも社会に貢献できるものであったり自分にとっても今すぐ役に立つものばかりではないので、ある程度自分に歯止めをかけていかないとキリがない。

文章化はなるべくどんどんしていこうと思っているけれど、同時にそれが読みやすい文章、読まれる文章を書けるようになるための練習になっていないと闇雲に書いてるだけじゃ意味がないんじゃないか。とか考え始めると余計にキーを押す手が重くなるというか。典型的な「ホームラン狙いの素振りをしないど素人」みたいな思考を張り巡らせておりました。 

書きたいことはずっとあったしネタには困らないですけどね〜

 

そんなこんなで。 最近の話を一つ。

BGMは

とかかな。

この前の日曜日の話ですが、

お金を800円しか持ってなくて、行こうか行くまいか迷っていたのだが、

迷った時は前進あるのみ。なので行ってきた、6月初週のRAW TOKYO

 

www.instagram.com

出店していたtunelessmelodyさんでPOPEYE 1978年モノ(400円)を購入。もう金が尽きる。

完全にこれ一本狙いでやってきたので望み通りの品が手に入って一件落着なのだが、

恥ずかしくて、さも、たまたまふらっと立ち寄ったらいいお店が出店していたので買ってみました。みたいな顔をしてしまう。シャイボーイyeah!

 

シャイだけど顕示欲ボーイなので見せびらかしたくて後日インスタに収穫物を投稿する。タグ付けもする。

そしたらばだ。ものの数十秒後、

「ご来店ありがとうございます!」

買った店から返信が来た。丁寧だ!心で叫ぶ。

「また出店するの楽しみにしてます!」

常套句でなんとか返信。シャイすぎて返すのも神経を使う。

そしたらばだ!

「今度声かけてくださいな」

 、

 、、

ショックだ。

 

本当にショック。

 、、、、

向こうはとっくに心の準備などできているのだ。

お客の中の一人に過ぎない自分との交流を楽しみにしているのだ。

こういう交流が楽しみで足繁く通っているというのに、実際当人たちを前にすると結界を張ってしまう。やめたいなあ。

自分が内向型であることは逃れようのない事実であるので、うまく折り合いをつけていきたい。

「内向型」については後日しっかり記事にしたいと思ってる。

 

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話は打って変わって 

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しばらく書いていない間に何度目かの誕生日を迎えた。

歳をとるというのは物思いの種になる。

最近のメモを二つ紹介して久々の投稿を終えます。

 

2019/05/24

自分はコツコツ型。テスト前だからといってむやみやたらに勉強時間を増やしたりしたくないし息抜きの時間を減らしたくない。だからその分日頃からコツコツとやる。毎日学ぶ。毎日遊ぶ。

 

ただ、いくらコツコツを矜恃としていても、そこには自分を納得させるためだけにつかれた、見て見ぬ振りされた嘘がある。

人は毎日の積み重ねで生きている。

そうわざと自分に思い込ませてはいるが、実際には、人生には劇的な瞬間がほんの数えるほどだけいくつかあって、人はそれをヘンゼルとグレーテルがパンくず落として歩いてくみたいに、いつでも戻れるよう心の支えにして生きてるんだと思う。だからせめてパンくずは多くあって欲しいなと思う。それに、そのパンくずたちが実はそのときどきの大切な人たちに拾われて、僕との再会を彼らとともに待ちかねていてほしいと思う。

写真が切り取るのはほんの一瞬だが、自分が瞬く間に見逃してしまっていたかもしれない瞬間をシャッターが捉えてくれていたら、救われる何かが、零れ落ちることなく僕の元に止まってくれた何かがあるんじゃないかと思う。

思ってばかりいられて僕は幸せです。

 

2019/05/31

「彼女の幸福が一番」だと、口で言ってみるでもなく、頭で理屈ごねるでもなく、感じ取ってしまって、本当にこのままじゃいけないなあと思った。俺はもっと俺の幸福に集中しなければ。高められるあらゆる感覚を研ぎ澄まさなければ。俺だって彼女から幸福を求めることができたのだから、俺が最高に幸福であることが、彼女にとっても最高であるに違いない。これは2人のための2人だけのお互いに対する幸福にまつわる戦いなのだ。

 

そうやって自分と彼女のこれからを、傲慢に思いやってみることにした。

メモの墓場

呟くには長く、綴るには短く

言うに値せず、然れども言わざるは寂しく

成仏して呉れ、此処はメモの墓場

墓標押っ立て、狂瀾を既倒に廻らす

(訳:メモアプリの整理したいのでエッセイとも論考とも言い難い文章をまとめて載せておきます)

 

 

注意:語気が強いものや断言的な文章が多いですが、個人的なメモですので、自分に言い聞かせるための口調です

 2019/01/02

シンギュラリティ到来後の世界が、人間が自らよりも賢いものを使う世界なのであれば、それは一人一人が総理大臣になるようなもの。まるで国家の乱立。試されるのはリーダーシップと先見の明。

 

2019/03/24

全然考えてないやつは自分よりも考えてるやつや自分と違った見方をしてるやつのことをひねくれてると言ったりそれはうがった見方だと言ってけなそうとしたりする。

 

2019/03/30

情報は増大の一途を辿り、検索は困難さを増すばかり。

教養とは、検索に引っかからない知識を持っていることをいう。

 

2019/04/06

ハリウッド映画見たことあんだろ?

あいつらが踊るのは楽しみ方を知ってるからだ

いいことあったら踊るんだよ

 

2019/04/07

人間がつまらなくなるのは好きでもない仕事を何年もやってるからだ

子供は好きなだけしてる

子供はいいよなあじゃなくて、仕事を好きになるか、いますぐその仕事を辞めるかするんだよ。

 

2019/04/08

死ぬことの原因が生まれたことであるのを認められないような奴は一丁前に生きる意味とか考え出して挙句幸福を自分の外側に見出そうとするんだよ日々是好日とは程遠い。この一瞬一瞬が生きるか死ぬかの分かれ道であるという現実から逃避してなんになる。永遠に生きたいと思うのか?

 

2019/04/11

最近死についてよく考える。

いつ頃考え始めたかも、考え始めた理由も覚えていない。

まあきっかけがどうであれ考えているのだが、

 

とにかく、人はいつ死ぬかわからない

 

最近彼女のことが好きすぎてよく泣いているのだが、そんな彼女もいつか死ぬ。思いもよらないタイミングで死ぬ。相場はそう決まっている。

僕も同じような運命をたどるわけで。

思い通りのタイミングで死ねたらどんなに楽だろうか。また死んでくれたらどんなに楽だろうか。

 

いつ死ぬか分からないと言っているのに、人が死んだときに思ったよりも早く言ってしまったなぁと思うことがある。人が死ねばその死んだ時が寿命なのであるが、不思議なことにその寿命に対して全うできたとか、できなかったとか、思い残したことがあるとかもう思い残すことはないとか、どうにもこうにもその長短で良し悪しを判断してしまうきらいがある。きらいだ。

 

2019/04/12

グランドイリュージョンでジェシーアイゼンバーグも言ってたように、近づけば近づくほど、逆に見えなくなるということはある。

現実はイリュージョンより奇なり。

富士山🗻は遠くからは美しく見えるが、近づいてみたらガラクタ山だったとか、そういうことはよくある。

まして手に触れられるようなものはベタベタ触れられるのをいいことに全て分かった気になって、終いには目の前にあるのに何も見えていないようになってしまう。

ゲシュタルト崩壊するのは文字ばかりではないのだ。

 

2019/04/14

自分ができないことを人に指摘すると、「お前はどうなんだよと言われる」、逆に自分ができることを人に指摘すると、「人に押し付けるなよ」と言われる。

 

2019/04/20

Tinderで出会った子と、ひたすらオススメのご飯屋さんを紹介し合った。ある日彼女は突然アカウントを消した。

 

2019/04/20

ブログを始めたり、今までなら控えてたようなものまでツイートするようにしたり、

他人の共感を無理に得ようとせず、ありのままの文章、感情、感覚で、

自分の中の恥ずかしいものを恥ずかしいまんまで外に出す活動を始めてもうそろそろで3ヶ月。

 

ほんともうなんか、興ざめするくらい痛感した

 

みんな人の恥ずかしいものに冷たい

 

「もっと自分に興味持ってよ!」とか、

「ぶっちゃけてんのにいいね来ないなあ」とか、

全然そういうんじゃない。

 

まるで自分は清廉潔白で純潔な一縷の穢れもない健康優良ハイテク無煩悩人間ですとでもいうくらいの、それぞれの中にある恥ずかしいものを白々しいくらいないがしろにした冷たさ。

自分にもあるものなのに、人がそれを外に出した途端知らんぷりをする薄情さ。

 

恐怖を感じた。

それは、我慢を強いることへの恐怖。

寛容のかけらもないことへの怖さ。

 

多分中にはこう言う人がいる、

「みんなも言いたいけど言わないで頑張ってるんだよ」

「自分だけスッキリして気持ちいいか?」

「弱音を吐くのはダサい」

我慢が美徳の人がいてもいいと思う。我慢しなければ達成できなかった偉業もあると思う。いつでも気高く在ることはとても善いことだと思う。

でもそれは他人に向けられてはいけない、自分と同じ考えや行動を他人に押し付けてはいけない、と思う。

 

こうあるべきとか、こうすべきとか、べき論みたいなものは自分の信念として持つ分には立派だけど、人に強要した時点でクソだせえ。

べき論は押し付けるべきではない。

これは唯一許されるべき論だと思う。

 

人の背中を押してくれる人は、令和の時代に生き残ってるのだろうか。

寛容な世の中であってほしいね

2019/04/22

ヤンキーにすごく興味がある。

だってヤンキーと哲学は相性がいい。

ヤンキーほど学生時代に自分の存在意義や将来について、はたまた人生について考えている奴らはいない。

 

実存主義提唱者の1人であるドイツの哲学者ハイデガーは、人間とは「死への存在」であると言った。

人間は、普段死に直面する不安から逃避し、日常性に埋没している。しかし、死を直視し自覚することで本来の自分の生き方を確立することができる、と。

このハイデガーの思想を端的に表現した歌がある。

amazarashiの「スピードと摩擦」

 

 

この曲の着想について本人は、

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と語っている。

 

分かりやすく言うならば、

人間は「死ぬかと思った。。」と思うようなことでもないと、生きていることを実感できない、ということ。

 

真面目に生きてきたやつに限って人の言うことばかり聞いて、物事を真剣に考えていないから自分が何のために生きてるのかも分からず気づいたら「あ、」つって死んでく。

 

 

ニューヨークで考え中2

 

この人の着眼点、発想、表現が楽しい。

気づきにあふれている。

どのエピソードも、ニューヨークの出来事だから新鮮に映るようにも見えるがそうではなく、この人の切り取り方がなんて事のない日常を新鮮に見せてくれている。

この人が暮らしているのが町田とか西荻窪とかでも多分同じように豊かな日常が描かれる。

ニューヨークという街であったことはエッセンスでありきっかけにすぎない。

 

今回の3年間は旦那さんの日本語の上達を見守る3年間でもあった。

わざわざ早起きしたりして日本語を勉強する旦那さんの姿勢は僕から見てもとても愛らしかった。

彼が勉強している理由がなんとなくわかった回がとても良かった。

 

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日常への“気づき”は、内省にも基づいている。

自分自身の言動と反響を振り返って、

まるでイルカがエコロケーションを使って自分の位置を確かめるように、

自分と周りの人達との関係を把握しているような感じ。

自分を俯瞰して観れるっていうのは、反響してきたものに耳をすますってことなのかもしれない。

 

日常を淡々と切り取るスタイルと絵のスタイルが黄金マッチしてる。

タッチは最小限なのに、1人1人がとても表情豊か。こんな絵が描けるようになりたい。

プロポーズ

お題「プロポーズ」

 

漠然と何か書きたいという気になったのでお題スロットを回してみた。

回し直しもできるので、ランダムに選んでいるようでランダムでもないのだが、

それは嫌なので、ちゃんと一つ目のやつで書こうと心に決めていざガチャコン。

まあ、確かに、必ず一つ目で、ということにしたら困るということもあるのだろうな。

早速実体験を得た。困った。

 

とりあえずまだプロポーズしたことはないので経験の話はできない。

妄想や理想のプロポーズ、計画など極めて個人的なことを書かなければならないことが確定した。困った。

・・

・・・

・・・・

ここから先はかなり個人的なので書きましたけど読まないでください。(笑)

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エロティックな関係

 

あらすじ

パリの路地裏で私立探偵事務所を開くKISHINとその秘書RIEは、奥山という男から自分の愛人ロレーヌの浮気調査を依頼された。KISHINはロレーヌの浮気の証拠をつかむものの、彼女の妖しい魅力に逆に心奪われる。そんな折り、逆にロレーヌの方からKISHINに接近してきた。奥山の本業はゆすり屋で、金と地位のある男にロレーヌを抱かせてそれをネタに恐喝を働いているという。一方、奥山は紳士的な態度でRIEに近づき、高級なプレゼントや2人だけのファッションショー、古城でのディナーなどで彼女は夢心地となるが、、、

 

感想

やべえ映画(笑)

地獄みたいな内田裕也の演技と地獄みたいな展開の中で、若き日の大天使・宮沢りえの可愛さだけが天国。クセが強い内田裕也脚本に、衣装が変わる度にめちゃんこ可愛い宮沢りえで耐え抜くと、最後少しだけ良い映画だったなと思う。

 

終始ブラックユーモアがひどい(笑)

そもそも主人公の名前篠山紀信ってなんでだよ(笑)

その後もいやいや、おいおい、な展開が続く

 

若い頃の宮沢りえが可愛いのと同様に、若い頃の北野武が超絶かっこいい。

悪い役なんだけど、ただの悪役で終わらない凄みがある。なんでなんだろう。

 

テンポがとても悪く、かつ意味のないシーンがちょいちょいあるために、それも意味のないシーンの延長だろうと思ってた1シーンが、ラストに若干の情味を加えるのだが、わざわざ油断せずに見る必要もないな(笑)中だるみで一生にだらけて、最後に一緒にちょっと引き締まればいい。

 

オールパリロケらしく、まあそのようで美しいパリの街並みが映画をグレードアップさせている。てか音楽がいいね。

 

なんだかんだ楽しい映画だった。

 

サイゼリヤ全メニューのコスパをグラフ化してみた

 

サイゼリヤが好き。

本当に好きなので、週1回必ず行く。かれこれその生活を5年。

それと、年間ペペロンチーノを200食くらい食べる。

(盛ってない。むしろ少し控えめに言っている)

そのうちの4分の1は間違いなくサイゼリヤのペペロンチーノ(いまはアーリオオーリオ)なので、この5年で少なくとも250回は利用していることになる。

それまでも月に2回は確実に行っていたので、そんな生活が少なくとも10年。

よって少なくとも250回、合わせて15年で500回は行っていることになる。

こう書いてみると意外と行ってない気もするな。

ふむ、精進します。

 

何はともあれ、僕はサイゼが好きであり、一番の魅力はコストパフォーマンスだと思っている。

あの値段であのレベルのイタリアンを食べられる店が他にあろうか、いや、ない。(反語)。

普通にうめえんだ。

 

しかし、

ふと疑問に思ってしまった。

「いったいどのメニューが一番コスパが良い(安く満腹感を得られる)のだろうか」と。

おなかいっぱい食べたいので、カロリーを気にして食べている。

極力カロリーの低いもの、ではなく、極力カロリーの高いものを食べたい。

同じ値段でどちらも美味しそうなら、カロリーの高い方を食べる。

 

果たしてどのメニューがより安く高カロリーを摂取できるのか、

すなわちコスパがいいのか、

どうにかこれをわかりやすく一覧できるものはないだろうかと調べてみたが、なかった。

なかったから作ってみた!

じゃん!

サイゼリヤ コスパ表①

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これがサイゼリヤの全ての料理の値段とカロリーの散布図。

ここから言えること

  • 一番高カロリーなのは【カルボナーラ
  • 【シーフードサラダ】のコスパが極低
  • 値段399円,499円のメニューのカロリーが600kcalに密集
  • 【フォッカチオ】と【プチフォッカ】はカロリーは同じだけどプチフォッカの方が高い

 

なるほど、とにかく腹が減っててエネルギーが欲しいときはカルボナーラ一択ですね。

縦軸で同一線上にある場合はより安い方を食べたほうがお得ということになりましょうな。

特にこれ、4つ目、ひどくないですか?(笑)4つに切り分けるのにどんだけかかるんだっていう、、(笑)

 

あと、サイゼガチ勢ならお気づきかと思いますが、、、

一品だけ載っていないメニューがあるんです。

 

 

 

そう、

リブステーキです(笑)

もちろんリブステーキありの散布図も作りました。

でもひどいんですよ、

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こいつが無駄に表を押し広げるせいで、ただでさえ密集していた中央部分のメニュー群が混雑率200%。もう読めたもんじゃないです。

なので、リブはもう、忘れてください。(笑)

 

まあリブ抜きにしても、結局散布図だとどれが一番コスパがいいのかは良くわかんないですね

作ってみてからそう思ったんで、もう一個作りました。

カロリー/値段比を計算して、それを棒グラフにしてみました

それがこちら

サイゼリヤ コスパ表②

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はい!出ました!わかりやすい!それに素晴らしい結果出ました!

ここからわかること

  • もっともコスパが高いのは【アーリオオーリオ】、次いで【ポテトのグリル、ミラノ風ドリアはまさかの3位
  • もっともコスパが低いのは【わかめサラダ】と【熟成ミラノサラミ】
  • 【シーフードサラダ】のコスパは確かに悪いが最悪ではなかった(いろんなグラフを見比べることの実益がまさにこれですな)

 

興味深い点

まずミラノ風ドリアがポテトのグリルの負けたのは意外でしたね。それでも1.8を超えてるのでかなりの高コスパと言えますが。

2点目が、デザート類の中では圧倒的コスパのシナモンフォッカチオと、ミルクアイスのせシナモンフォッカチオの差です。ミルクアイスのカロリーがちょうど100kcalとされているのに対し値段は150円アップ。そのためスコアを0.4ポイントほど落としてますね。落差がすごい。ちなみに、フォッカチオはミラノ風ドリアに次ぐ総合4位の高コスパメニューなので、シナモンフォッカチオもただのフォッカチオより0.4ポイントスコアを落としているっていう。。サイゼリヤのデザートにコスパは期待してはいけないようですね。まあそりゃそうですよ、ありゃご褒美ですよ。アイスティラミス、いつもありがとう。

 

 

さて、いかがでしょうか

いくらかは参考にしていただけたら幸いです。

個人的には高カロリーのものを選びやすくなったのでこれはかなり役に立って嬉しい。

逆にカロリーを取りすぎたくない人も、1つめの散布図をぜひ参考にして欲しい。

 

 

あ、これのためにちゃんと使ったことなかったExcelをイチから勉強したので(笑)、

褒めてくれると嬉しいです。

励みになりますので。

何卒。

 

www.saizeriya.co.jp