753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

折々々々々々々々々々々々の言葉

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連載が始まってすぐくらいから始めて、今が1500番に差し掛かるくらいだから、

かれこれ4年くらい、朝日の一面にある「折々の言葉」を切り続けてる。

するとこの厚さになるのだが、これ実は全部じゃない。

というのは、あんまり響かなかったときは切ってないから。

だからほんとうはもっと多い。という見方もできるしけっこう響いてんじゃんという見方もできる。当たり判定は75%くらいに設定してある。

けっこう人生の細かなところで判断の軸になってくれた言葉もいくつかある。座右の銘的なのも多分ある。なによりその言葉を読み解いて噛み砕いて自らの言葉に編み直す鷲田清一よ、天晴れ。

 

さて、

今回はこの話聞いてどう思うかっていう話。

だからこの話の主体は僕じゃなくて読者の方々なのです。

 

毎日目を通してるところに感心する?

わざわざ切ってるのマメだな〜と思う?

それをさらにわざわざ写真に撮ってブログに載せて、なんだよこつこつマウントかよと思う?

違います。

俺が切ろうが切るまいが、これを毎日考えている人がいることに思い至りましたかって話。

継続とはなんでしょうか?

才能とはなんでしょうか?

継続は力なり。

才能とは突き抜けること。

(どちらもどこかからの引用)(折々の言葉からではない気がする)(あれ、普段あんまり参考にしてないかもな。笑)

 

鷲田目指そうぜ。

小さくまとまってんじゃねえよ。

 

(ノン)フィクションワンナイト


劇中にジップレス・ファック的なシーンのある映画を見ていて(ジップレス・ファックっていうのは衝動的な究極のセックスのことで女性が人権獲得の過程で性主体となり得てからブツブツ割愛)、ふと思った。

 


ワンナイトって、なんか、大丈夫?

衛生的な視点から。

 


ぼくは衝動的であったか以前に氣志團だったことがないので(ワンナイトカーニバルの意)(究極の方についてはノーコメント)、お至りになるまでのプロセスは想像するしかないのだが、まあ多分行き着く先は一方の自宅か愛旅館であると思われる。(外でやる人たちはここでは例外とする。)

そうなると、まあ多分2パターンある。

双方やる気満々万太郎。

片方やる気漫☆画太郎

後者だと前者が多いのかもしれないが、

前者だと後者の可能性もままあるのではないか(文脈解釈力を試す)。

 


長くなりそうなので先に結論から言う。

お風呂って入ってるの?

 


最高にラブい恋人たちでも体は流す気がする(一般論を述べているよ)。

ましては初めましてのkissing you なのだから、より清潔感は男子大学生並に求められると思う。それなりにお楽しみになるんだろうから。気が散るのはよろしくない。

 


でもなんか、どういう空気感で浴室に参るのか、想像がつかない。

手刀で他方の裏首を御免!して気が付いたらシャンプーの匂いがする〜〜🧴とでもするのだろうか?

それか、まあ狭い部屋だけど😅座って座って😅😅とおもむろに浴槽に着槽するのを促して、上着かけとこうか🧥?の流れで全体的に検(あらた)めさせてちゃっかりお湯溜めて上からボディーソープ鉄砲発射噴射掃射ダダダダダ?

ん〜、まあなくはないけど。

 

 

汗が良いの?知らない人の汗が。

みんなそう?そうなの?あ、そう。

 


お酒って偉大だね。

ブレストレス

あれしよこれしよってよく頭がパンクする。

自己肯定感がつおいので、あまりの思考量に自らの脳が耐えられなくなるのだろうと感情で自尊する。

そういうときには決まってブレインストーミングすることにしている。

とりあえず思ってる事、やりたい事、気になる事、やらなきゃいけない事、何かの期限、感情、もろもろ書き出す。

最初は紙に書き出していたが、保存が効くのはやはりデエタなので最近はメモに格納。

 


やって毎回驚くというか自尊しきれなくなるのが、

意外と書き出すことがない。

あーもうだめだ頭があれこれでいっぱいだ〜と思ってるときほど、ほとんどひとつかふたつのことで頭がいっぱいになっていて、大して脳内乱気流!というわけではない。

容量を食う大規模アプリをふたつほど同時に開いてしまうと、他の中小はカクカクしちゃって全然スムーズに操作できなくなるあの感じ。昔使ってたWindowsがそうだったわ。な、MacBook Air

浪花共荒れ、いや何はともあれ、なんだ、こんなもんか、と思うと少し気が楽になる。どうしたらいいのかは書き出した時点でどれも一目で瞭然とするし、優先順位をつけられないほどバカじゃないので一件落着する。

 


よし、まずは書き出されなかったあの本を読もう。

宇宙のまばたき

さて目の前に宇宙が見える。よく考えてみたらどこを見ていてもその先には宇宙があるわけだが今はそれは考えない。そこに自分勝手に星を浮かべる。置くといってもいい。なんなら据えるとでも。それだって自由だ。何はともあれ星をそこに配する。どうせだから欲張って他にも3,4個散りばめてみよう。あまりに傲慢だがさらに数個ばらまいてもいい。今ここでは勝手気ままが許される。するとどうだ瞬く間に星たちに関係性が生まれる。星座だ。星たちが座ると書いて星座なので、さっき考えていたものの答えが出たな、星たちの腰を据えてやるのが正しい。しかも多分正座だ。いや、間違いない。ちなみに瞬く間と言ったが、これは要するに瞬く間のことなのだが、これはおおよそ0.1秒くらいの間のことである。まばたきに“瞬”の字を当てたやつは天才かと思う。人間の記憶というのは不思議なものでこの瞬き運動と密接に関連している。言うなれば瞼がシャッターを切るといった感じ(瞼は目の蓋と書いて目蓋の今なのでこれを考えたやつも天才だ。多分同じ人だな)。シャッターを切るたびにその瞬間瞬間(瞬く間)が脳に送信され、脳のカメラロールというのは容量無制限なので、永遠に保存されまくっているもちろんこれを読む瞬間もパシャりパシャりパシャり。そして銭婆曰く「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」だそうなので、どういう結論が導かれるかというとつまりドライアイの人の方が記憶力がいいということになる。それかもしくは記憶の解像度が高い、あるいは記憶がより滑らかな映像として脳によって後から再現可能になる。なので、今もなおブルーライトを浴びまくっていることにより視神経が過剰に刺激され、悪くすれば視力が下がり眼精疲労生活習慣病を発症するかもしれない人ほど、当然ドライアイになりやすいもしくはドライアイである可能性が高いので、この駄文が最初は宇宙の話をしていたことを覚えているか瞬く間に思い出せるわけである。長くなったから宇宙の話はまた今度のまばたきにしよう。

「今度声かけてくださいな」

お久しぶりです〜

最近どうでした?パスタ巻いてました?(Hi-Hi参照)

 

なんで更新していなかったかというと、

なんで更新していなかったんだろう、、という感じ(笑)

強いて言えば最近もろもろのSNSの使い道について考えていて、

どこからどのようにどの程度インプットして、

どこでどのようにどの程度アウトプットするか、色々研究中ではある。

僕の収集欲や学習欲は必ずしも社会に貢献できるものであったり自分にとっても今すぐ役に立つものばかりではないので、ある程度自分に歯止めをかけていかないとキリがない。

文章化はなるべくどんどんしていこうと思っているけれど、同時にそれが読みやすい文章、読まれる文章を書けるようになるための練習になっていないと闇雲に書いてるだけじゃ意味がないんじゃないか。とか考え始めると余計にキーを押す手が重くなるというか。典型的な「ホームラン狙いの素振りをしないど素人」みたいな思考を張り巡らせておりました。 

書きたいことはずっとあったしネタには困らないですけどね〜

 

そんなこんなで。 最近の話を一つ。

BGMは

とかかな。

この前の日曜日の話ですが、

お金を800円しか持ってなくて、行こうか行くまいか迷っていたのだが、

迷った時は前進あるのみ。なので行ってきた、6月初週のRAW TOKYO

 

www.instagram.com

出店していたtunelessmelodyさんでPOPEYE 1978年モノ(400円)を購入。もう金が尽きる。

完全にこれ一本狙いでやってきたので望み通りの品が手に入って一件落着なのだが、

恥ずかしくて、さも、たまたまふらっと立ち寄ったらいいお店が出店していたので買ってみました。みたいな顔をしてしまう。シャイボーイyeah!

 

シャイだけど顕示欲ボーイなので見せびらかしたくて後日インスタに収穫物を投稿する。タグ付けもする。

そしたらばだ。ものの数十秒後、

「ご来店ありがとうございます!」

買った店から返信が来た。丁寧だ!心で叫ぶ。

「また出店するの楽しみにしてます!」

常套句でなんとか返信。シャイすぎて返すのも神経を使う。

そしたらばだ!

「今度声かけてくださいな」

 、

 、、

ショックだ。

 

本当にショック。

 、、、、

向こうはとっくに心の準備などできているのだ。

お客の中の一人に過ぎない自分との交流を楽しみにしているのだ。

こういう交流が楽しみで足繁く通っているというのに、実際当人たちを前にすると結界を張ってしまう。やめたいなあ。

自分が内向型であることは逃れようのない事実であるので、うまく折り合いをつけていきたい。

「内向型」については後日しっかり記事にしたいと思ってる。

 

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話は打って変わって 

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しばらく書いていない間に何度目かの誕生日を迎えた。

歳をとるというのは物思いの種になる。

最近のメモを二つ紹介して久々の投稿を終えます。

 

2019/05/24

自分はコツコツ型。テスト前だからといってむやみやたらに勉強時間を増やしたりしたくないし息抜きの時間を減らしたくない。だからその分日頃からコツコツとやる。毎日学ぶ。毎日遊ぶ。

 

ただ、いくらコツコツを矜恃としていても、そこには自分を納得させるためだけにつかれた、見て見ぬ振りされた嘘がある。

人は毎日の積み重ねで生きている。

そうわざと自分に思い込ませてはいるが、実際には、人生には劇的な瞬間がほんの数えるほどだけいくつかあって、人はそれをヘンゼルとグレーテルがパンくず落として歩いてくみたいに、いつでも戻れるよう心の支えにして生きてるんだと思う。だからせめてパンくずは多くあって欲しいなと思う。それに、そのパンくずたちが実はそのときどきの大切な人たちに拾われて、僕との再会を彼らとともに待ちかねていてほしいと思う。

写真が切り取るのはほんの一瞬だが、自分が瞬く間に見逃してしまっていたかもしれない瞬間をシャッターが捉えてくれていたら、救われる何かが、零れ落ちることなく僕の元に止まってくれた何かがあるんじゃないかと思う。

思ってばかりいられて僕は幸せです。

 

2019/05/31

「彼女の幸福が一番」だと、口で言ってみるでもなく、頭で理屈ごねるでもなく、感じ取ってしまって、本当にこのままじゃいけないなあと思った。俺はもっと俺の幸福に集中しなければ。高められるあらゆる感覚を研ぎ澄まさなければ。俺だって彼女から幸福を求めることができたのだから、俺が最高に幸福であることが、彼女にとっても最高であるに違いない。これは2人のための2人だけのお互いに対する幸福にまつわる戦いなのだ。

 

そうやって自分と彼女のこれからを、傲慢に思いやってみることにした。

メモの墓場

呟くには長く、綴るには短く

言うに値せず、然れども言わざるは寂しく

成仏して呉れ、此処はメモの墓場

墓標押っ立て、狂瀾を既倒に廻らす

(訳:メモアプリの整理したいのでエッセイとも論考とも言い難い文章をまとめて載せておきます)

 

 

注意:語気が強いものや断言的な文章が多いですが、個人的なメモですので、自分に言い聞かせるための口調です

 2019/01/02

シンギュラリティ到来後の世界が、人間が自らよりも賢いものを使う世界なのであれば、それは一人一人が総理大臣になるようなもの。まるで国家の乱立。試されるのはリーダーシップと先見の明。

 

2019/03/24

全然考えてないやつは自分よりも考えてるやつや自分と違った見方をしてるやつのことをひねくれてると言ったりそれはうがった見方だと言ってけなそうとしたりする。

 

2019/03/30

情報は増大の一途を辿り、検索は困難さを増すばかり。

教養とは、検索に引っかからない知識を持っていることをいう。

 

2019/04/06

ハリウッド映画見たことあんだろ?

あいつらが踊るのは楽しみ方を知ってるからだ

いいことあったら踊るんだよ

 

2019/04/07

人間がつまらなくなるのは好きでもない仕事を何年もやってるからだ

子供は好きなだけしてる

子供はいいよなあじゃなくて、仕事を好きになるか、いますぐその仕事を辞めるかするんだよ。

 

2019/04/08

死ぬことの原因が生まれたことであるのを認められないような奴は一丁前に生きる意味とか考え出して挙句幸福を自分の外側に見出そうとするんだよ日々是好日とは程遠い。この一瞬一瞬が生きるか死ぬかの分かれ道であるという現実から逃避してなんになる。永遠に生きたいと思うのか?

 

2019/04/11

最近死についてよく考える。

いつ頃考え始めたかも、考え始めた理由も覚えていない。

まあきっかけがどうであれ考えているのだが、

 

とにかく、人はいつ死ぬかわからない

 

最近彼女のことが好きすぎてよく泣いているのだが、そんな彼女もいつか死ぬ。思いもよらないタイミングで死ぬ。相場はそう決まっている。

僕も同じような運命をたどるわけで。

思い通りのタイミングで死ねたらどんなに楽だろうか。また死んでくれたらどんなに楽だろうか。

 

いつ死ぬか分からないと言っているのに、人が死んだときに思ったよりも早く言ってしまったなぁと思うことがある。人が死ねばその死んだ時が寿命なのであるが、不思議なことにその寿命に対して全うできたとか、できなかったとか、思い残したことがあるとかもう思い残すことはないとか、どうにもこうにもその長短で良し悪しを判断してしまうきらいがある。きらいだ。

 

2019/04/12

グランドイリュージョンでジェシーアイゼンバーグも言ってたように、近づけば近づくほど、逆に見えなくなるということはある。

現実はイリュージョンより奇なり。

富士山🗻は遠くからは美しく見えるが、近づいてみたらガラクタ山だったとか、そういうことはよくある。

まして手に触れられるようなものはベタベタ触れられるのをいいことに全て分かった気になって、終いには目の前にあるのに何も見えていないようになってしまう。

ゲシュタルト崩壊するのは文字ばかりではないのだ。

 

2019/04/14

自分ができないことを人に指摘すると、「お前はどうなんだよと言われる」、逆に自分ができることを人に指摘すると、「人に押し付けるなよ」と言われる。

 

2019/04/20

Tinderで出会った子と、ひたすらオススメのご飯屋さんを紹介し合った。ある日彼女は突然アカウントを消した。

 

2019/04/20

ブログを始めたり、今までなら控えてたようなものまでツイートするようにしたり、

他人の共感を無理に得ようとせず、ありのままの文章、感情、感覚で、

自分の中の恥ずかしいものを恥ずかしいまんまで外に出す活動を始めてもうそろそろで3ヶ月。

 

ほんともうなんか、興ざめするくらい痛感した

 

みんな人の恥ずかしいものに冷たい

 

「もっと自分に興味持ってよ!」とか、

「ぶっちゃけてんのにいいね来ないなあ」とか、

全然そういうんじゃない。

 

まるで自分は清廉潔白で純潔な一縷の穢れもない健康優良ハイテク無煩悩人間ですとでもいうくらいの、それぞれの中にある恥ずかしいものを白々しいくらいないがしろにした冷たさ。

自分にもあるものなのに、人がそれを外に出した途端知らんぷりをする薄情さ。

 

恐怖を感じた。

それは、我慢を強いることへの恐怖。

寛容のかけらもないことへの怖さ。

 

多分中にはこう言う人がいる、

「みんなも言いたいけど言わないで頑張ってるんだよ」

「自分だけスッキリして気持ちいいか?」

「弱音を吐くのはダサい」

我慢が美徳の人がいてもいいと思う。我慢しなければ達成できなかった偉業もあると思う。いつでも気高く在ることはとても善いことだと思う。

でもそれは他人に向けられてはいけない、自分と同じ考えや行動を他人に押し付けてはいけない、と思う。

 

こうあるべきとか、こうすべきとか、べき論みたいなものは自分の信念として持つ分には立派だけど、人に強要した時点でクソだせえ。

べき論は押し付けるべきではない。

これは唯一許されるべき論だと思う。

 

人の背中を押してくれる人は、令和の時代に生き残ってるのだろうか。

寛容な世の中であってほしいね

2019/04/22

ヤンキーにすごく興味がある。

だってヤンキーと哲学は相性がいい。

ヤンキーほど学生時代に自分の存在意義や将来について、はたまた人生について考えている奴らはいない。

 

実存主義提唱者の1人であるドイツの哲学者ハイデガーは、人間とは「死への存在」であると言った。

人間は、普段死に直面する不安から逃避し、日常性に埋没している。しかし、死を直視し自覚することで本来の自分の生き方を確立することができる、と。

このハイデガーの思想を端的に表現した歌がある。

amazarashiの「スピードと摩擦」

 

 

この曲の着想について本人は、

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と語っている。

 

分かりやすく言うならば、

人間は「死ぬかと思った。。」と思うようなことでもないと、生きていることを実感できない、ということ。

 

真面目に生きてきたやつに限って人の言うことばかり聞いて、物事を真剣に考えていないから自分が何のために生きてるのかも分からず気づいたら「あ、」つって死んでく。

 

 

ニューヨークで考え中2

 

この人の着眼点、発想、表現が楽しい。

気づきにあふれている。

どのエピソードも、ニューヨークの出来事だから新鮮に映るようにも見えるがそうではなく、この人の切り取り方がなんて事のない日常を新鮮に見せてくれている。

この人が暮らしているのが町田とか西荻窪とかでも多分同じように豊かな日常が描かれる。

ニューヨークという街であったことはエッセンスでありきっかけにすぎない。

 

今回の3年間は旦那さんの日本語の上達を見守る3年間でもあった。

わざわざ早起きしたりして日本語を勉強する旦那さんの姿勢は僕から見てもとても愛らしかった。

彼が勉強している理由がなんとなくわかった回がとても良かった。

 

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日常への“気づき”は、内省にも基づいている。

自分自身の言動と反響を振り返って、

まるでイルカがエコロケーションを使って自分の位置を確かめるように、

自分と周りの人達との関係を把握しているような感じ。

自分を俯瞰して観れるっていうのは、反響してきたものに耳をすますってことなのかもしれない。

 

日常を淡々と切り取るスタイルと絵のスタイルが黄金マッチしてる。

タッチは最小限なのに、1人1人がとても表情豊か。こんな絵が描けるようになりたい。