753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

イチロー引退 非凡と凡

引退した。

引退会見すごかったな。

誰もイチローの次元についていけてなかった。

記者の人たちみんな神妙な顔でも作ってたんだろうな。

でもイチローはもっと祝福に満ちた雰囲気というか、

和やかな雰囲気でやりたかったんじゃないかね

北島康介の引退会見のときみたいにね

【脱線】神妙な顔についてはセトウツミを参照

 

 

正直野球は興味ない。全然ない。

小学生の頃、一度家族で球場まで見に行ったけど、

 

結局誰一人試合見てなくて5回表で抜けて帰りに焼肉食べたのを覚えてる。

野球はそれくらいのもの。

それでもイチローのことは知ってる。そりゃあね。

イチローとはそういう人。

野球から継続の力を発信し続けた人。

淡々と1つのことを続けてきた人。

 

でも、

イチローが超人だとは思わない。

確かにすごい。というか、めちゃめちゃすごい。

だけど自分とはかけ離れた存在だ、

特別な人間だ、超人だ、とは思わない。

 

どこか繋がってると感じるし、繋がっていてほしいと思う

 

「あの人は特別だから」なんて突き放しては彼の努力を正当に評価することはできない。

イチローだからできた」なんて隔てたら自分が努力から逃げる口実にしかならない。

 

誰でもイチローになれただろうと思う。

だって別に特別なことしてなくない?

続けただけ。

けど実際には誰もイチローにはなれていない

不思議だな。

 

続ける

“続ける”ということについて改めて考えないといけない。

続けるのは難しいことなのか。

歯磨いて、風呂入って、飯食ってクソして寝て。

日常には継続が溢れてる。

日常に取り込めばなんだって続く。勝手に。

言われなくてもみんな分かってるわな。

じゃあ、なんでみんなはそれができない?

毎日ちょっとやればいいだけなのに。

塵も積もれば山となる

千里の道も一歩から

継続は力なり

続けるのが大切だよねって昔っから言われてるじゃんか。

不思議だな。

 

会見は名言の連発だった。

なんでも目に見えるものなんて知れてるんですよ。頑張ってるように見えるやつの頑張りなんて知れてる。悲しそうにしてるやつの悲しみなんて知れてる。本当に悲しいやつは、それを見せないからね

 

(努力が)報われるとは限らない。もっと言うと『努力』と感じてる状態はまずいでしょうね。その先に行けば周りには努力に見えても本人にとってはそうでないという状態が作れる。そうしたら勝手に報われることがある

 

アメリカに来て外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。孤独に立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことなんではないかなというふうに感じています

 

人より頑張ることなんてできない。あくまでも秤は自分の中にある。自分の限界をちょっと越えることを繰り返すことで、いつの日か凄くなった自分に気付く。だから少しずつの積み重ねでしか、自分を越えていけない。

継続の妙。

偉業を成すための鍵は、

継続×哲学ということか

優秀な人は必ずと言って良いほど崇高な思想の持ち主

突き詰めていかないとダメなんだろうな。

 

考えないとただ続けるだけになってしまうし、

プレッシャーや責任に押しつぶされてしまう

イチローはその点ストレスのいなし方が上手かったように思う

イチローが“イチロー”でなく、鈴木一郎であったら、彼はここまで続けられただろうか

 

とにかく頭使わないとな。というお話。

 

「自分の権利を擁護することは、自分の利益を擁護することだろうか?」「自分自身の文化から自由になれるだろうか?」

フランスの大学入学資格試験問題

鷲田さんのことば

 フランスの知人に、貴国ではなぜ高校で哲学教育を重視するのかと質問したら、「例えば公務員。誰もが幸福に暮らせる社会をめざす者が、幸福の何たるかを考えたことがなければどうなる」との当然すぎる返答。ちなみに2017年の記述式問題は右のごとし。しかもこれ、理系の課題。哲学研究者、坂本尚志(たかし)の『バカロレア幸福論』から。(鷲田清一

2019年3月21日付 朝日新聞「折々のことば」より

https://digital.asahi.com/articles/ASM3L42ZPM3LUCVL01H.html?_requesturl=articles%2FASM3L42ZPM3LUCVL01H.html&rm=81

 

ほら、みんなも頭使わないとなと思ってくるでしょ。