753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

汗と涙のための散文

赤ちゃんはただ「幸せだから」笑ってるらしいと、人から聞いたと糸井重里が言っていた。

だったら泣いてるのもただ「悲しいから」なんだろう。

僕らはいつから泣くことに理由が必要になってしまったのか。

最近読んだ本の一説にこう書いてあった。

 


人間の身体は泣くように設計されている。

人間の身体をデザインされた存在を讃え、

その作品のひとつである己の身体を讃えて、

当初の意図どおりに肉体を使いこなすことは、

我々の義務の一つである。


だから、ぐっとこらえるなどというのは、

弱い者のすることなのだと。

 


とはいえ、やはり「悲しいから」といってそう簡単には泣けなくなってしまった僕たち。

理由さえあれば今にも泣き出したいのに、理由さえ手に入れられず、もしかしたらそのことにすら自分で気づけず、胸をきゅっとして生きてる人が少なくないだろうことを想う。


「泣いていいんだよ」

人の赦しがあれば少しは違うだろうか。