汗と涙のための散文
赤ちゃんはただ「幸せだから」笑ってるらしいと、人から聞いたと糸井重里が言っていた。
だったら泣いてるのもただ「悲しいから」なんだろう。
僕らはいつから泣くことに理由が必要になってしまったのか。
最近読んだ本の一説にこう書いてあった。
人間の身体は泣くように設計されている。
人間の身体をデザインされた存在を讃え、
その作品のひとつである己の身体を讃えて、
当初の意図どおりに肉体を使いこなすことは、
我々の義務の一つである。
だから、ぐっとこらえるなどというのは、
弱い者のすることなのだと。
とはいえ、やはり「悲しいから」といってそう簡単には泣けなくなってしまった僕たち。
理由さえあれば今にも泣き出したいのに、理由さえ手に入れられず、もしかしたらそのことにすら自分で気づけず、胸をきゅっとして生きてる人が少なくないだろうことを想う。
「泣いていいんだよ」
人の赦しがあれば少しは違うだろうか。