753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

「LUCY ルーシー」生半可な気持ちでは見ていけない脳と意識の物語

劇場で観賞して以来6年ぶり2度目。
当時は正直、?????状態だったが、
なぜかここ最近この映画を思い出す機会がよくあり、今なら何か分かるかもしれないと思い観賞。その通りだった。前回とは印象が全く違う。

 

これは概念、感覚、常識、科学、意識を超えていく物語。

 

まず、この映画に批判的な人たちのよくある批判だが、
「科学的根拠がない」
当たり前。“科学的に認められている”と聞くと無条件で納得する人間はやたら多いが、それは現状調べることが可能であった範囲の研究で、研究に適合した結果であるということに過ぎない。学問上の常識が覆ることは歴史の知るところ。
「意味がわからなかった」
調べるか詳しい人に聞くなり勉強をしてくれ。
「結末がよくわからない」
調べるか詳しい人に聞くなり勉強をしてくれ。
「映画の作りとしてよくなかった」
私もそう思う。それが原因でこの映画は単純なエンタメ映画なのか深淵な哲学脳科学映画なのかの狭間で実に中途半端に仕上がっている。
だからあえて言っておきたい。哲学や脳科学などの学術的な知見がある程度備わっていて、映画としての完成度に目を瞑れる人以外、見ない方がいい。

 

この映画は実に示唆的だ。
もし内容に納得できないところがあるならば、自らの頭が固くなっていること、固定観念に囚われていることを一度疑うべきなのかもしれない。それはもちろんこの映画の内容が正しいという意味ではない。しかし一つの帰結としては受け入れられて然るべきだ。

 

などと言っている私自身この映画が分かったわけではない。
いや、正確にはこの映画は我々が分かるものではない。
リュックベッソンは分からないものを分からないものとして最大限分かりやすく表現することには成功したように思う。
“全然何も分からない”ということが“分かった”感覚

それがベッソンの狙いだったのではないだろうか。

 

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