753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

好きなとこから、好きなように、意味もなく。

実世界でもTwitter上でもなんでも、

「よく知らないけどなんか好き」という状況がたまにある。

ちゃんと知ればもっと好きになるかもしれないけど、むしろ深く知ってしまったら嫌いなところ出てきて好きじゃなくなるかもしれない。

「よく知らないからこそ好き」なのかもしれないと思うと、こういう好きがあってもいいよなと思う。

お互いにそういう距離感を守りながら、お互いに好きでいれるなら、それもれっきとした両想いだと思う。

もし自分にもそういう人がいて、今も僕をよく知らないまま僕を好きでいてくれてるなら、どうかそのまま、その距離感のままで、どうかこれからも見守っていてほしいなと思う。

無理に接近しないでいいから、好きな場所から好きなように好きでいてほしい。

 

あー、

どっかで聞いた

前進するのも、その場に留まるのも、どちらも行動力である、という話を思い出した。

 

とりあえずやってみるのも、

リスクを潰し切ってから信じて突き進むのも、

どちらも行動力。

考えているところを行動として見せる、

こういうこと考えました、をやってみたのうちに入れることで、「すぐに行動できない自分」を否定するのではなく、「よく考えてから行動することのできる自分」を肯定できる、という話だったな。

 

近頃は何も生み出さない人を無価値な人間だと言いたがる言いたがり屋さんが多いから、生産性とか効率とか、機械に向けて使ってた言葉を一体全体どういうわけか人間に対しても用いるようになった。

公園で非生産的に大声を出したり、非効率的に穴を掘る子供達を見て、彼らから学ぶことなく、逆に彼らを早く機械にしなきゃと慌てふためく。何もしなくても人間は#bornperfectなのに。

 

話が逸れた。

まあ、要は、人を好けという話。

今いる場所で。行動せずに。意味もなく。

2019/06/28 雑想

多分自分は全てのタスクを同じ比重にしておかないと回らないようになっている。

そうか、書いてて気づいた。これだ。

明日から取り掛かろう。

どんなに大きいタスクも毎日続けられるレベルのタスクに細分化して割り振ればいいんだ。いきなり漠然とした巨大なものに取り掛かろうとしたらそりゃ億劫になったりやる気が削がれたりただただ不安に襲われたりするわけだ。

そうなってくると、モノを言うのは経験だな。

大きいタスクが必ずしも量的細分化に適したものでない場合、例えばレポートみたいな、書き上げるだけじゃなくて質も求められるような場合に、それをいかに毎日のタスクとして細分化して振り分けていくか。これは経験によるしかない。できるかな。億劫になったりやる気が削がれたりただただ不安に襲われたりしそうだ。

あいの降るほし

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橋本愛からは重みを感じる。それは動きからもだし、内面からも。

今の彼女からそれを感じるのはもちろんだけど、当時16歳のまだまだ少女といえる若さの彼女からも同様にそれを感じた。それは発売当時に見ていたら同じように感じたかと言われれば違うのかもしれないけど、少なくとも現在から7年の時を遡って見たときに、まだ年齢の鎧を纏う前の、まだまだ身軽で軽やかなはずの彼女の中に、その時点ですでに重みが存在することが見て取れた。

 

外見上は重みは別に感じられない。むしろ細いくて軽そう。けど、重い。

少し跳ねて映る彼女の遅れ足が地面から少し離れたところからもぎこちなさとは違う、いわば慎重ともいえる動きの重さがある。

 

1万字インタビューにもすごく彼女らしさが詰まってた。

読み進めていると、ほんとうに内面を丁寧に象った言葉選びが上手くて、一瞬これに答えている彼女がまだ16歳だってことを忘れた。思い出してから驚いた。これは高校1年生から語られる質量の言葉ではない。小学生の頃の自分の性格に大きな影響を与えた出来事についてのエピソードも語られている。エコロケーション習得の瞬間。彼女は人より早い段階で他者の存在を理解して、社会と自分との距離感とか、自分の居場所とか立ち位置を考えるようになったんだろうなあ。

 

最近、POPEYEでの彼女のコラム連載が終わってしまった。むっちゃ悲しい。

今はインスタでしか彼女の書く文章が読めない。むっちゃ惜しい。

 

「ブス」と「かわいい」、呪いと呪(まじな」い、その中性的な部分を人生をかけて獲得していく。この世にブスはない。どこにもない。ぜっったいにない。ちなみに劣化もない。全盛期もない。あるのは進化だけだ。ブスは思考だ。いつだって今のあなたが、私が、いっっっっっっちばん美しい。絶対だ。

 

最近の研究によると、人が人になり得るその瞬間に、私たちの初めての行動があるという。それは、「ここにいるよ!」と、メッセージ物質なるものを母へ、母の体へ発しているというのだ。その「ここにいるよ!」が番組特有の表現だったとしても、私たちが初めて発した言葉なるものがあまりにも情けなくて、頼りなくて、愛おしくて、確かなものだったから、不覚にも私は泣いてしまった。

(POPEYE内連載コラム「橋本愛のカルチャー日記」より)

 

次はさ、本の装丁とか写真の配置とか、どこで撮るとか、何を撮るとか、何を着るとか、何と撮るのか、誰と撮るとか、そういうの全部自分で決めたやつ作ってよ。よろしく。

折々々々々々々々々々々々の言葉

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連載が始まってすぐくらいから始めて、今が1500番に差し掛かるくらいだから、

かれこれ4年くらい、朝日の一面にある「折々の言葉」を切り続けてる。

するとこの厚さになるのだが、これ実は全部じゃない。

というのは、あんまり響かなかったときは切ってないから。

だからほんとうはもっと多い。という見方もできるしけっこう響いてんじゃんという見方もできる。当たり判定は75%くらいに設定してある。

けっこう人生の細かなところで判断の軸になってくれた言葉もいくつかある。座右の銘的なのも多分ある。なによりその言葉を読み解いて噛み砕いて自らの言葉に編み直す鷲田清一よ、天晴れ。

 

さて、

今回はこの話聞いてどう思うかっていう話。

だからこの話の主体は僕じゃなくて読者の方々なのです。

 

毎日目を通してるところに感心する?

わざわざ切ってるのマメだな〜と思う?

それをさらにわざわざ写真に撮ってブログに載せて、なんだよこつこつマウントかよと思う?

違います。

俺が切ろうが切るまいが、これを毎日考えている人がいることに思い至りましたかって話。

継続とはなんでしょうか?

才能とはなんでしょうか?

継続は力なり。

才能とは突き抜けること。

(どちらもどこかからの引用)(折々の言葉からではない気がする)(あれ、普段あんまり参考にしてないかもな。笑)

 

鷲田目指そうぜ。

小さくまとまってんじゃねえよ。

 

(ノン)フィクションワンナイト


劇中にジップレス・ファック的なシーンのある映画を見ていて(ジップレス・ファックっていうのは衝動的な究極のセックスのことで女性が人権獲得の過程で性主体となり得てからブツブツ割愛)、ふと思った。

 


ワンナイトって、なんか、大丈夫?

衛生的な視点から。

 


ぼくは衝動的であったか以前に氣志團だったことがないので(ワンナイトカーニバルの意)(究極の方についてはノーコメント)、お至りになるまでのプロセスは想像するしかないのだが、まあ多分行き着く先は一方の自宅か愛旅館であると思われる。(外でやる人たちはここでは例外とする。)

そうなると、まあ多分2パターンある。

双方やる気満々万太郎。

片方やる気漫☆画太郎

後者だと前者が多いのかもしれないが、

前者だと後者の可能性もままあるのではないか(文脈解釈力を試す)。

 


長くなりそうなので先に結論から言う。

お風呂って入ってるの?

 


最高にラブい恋人たちでも体は流す気がする(一般論を述べているよ)。

ましては初めましてのkissing you なのだから、より清潔感は男子大学生並に求められると思う。それなりにお楽しみになるんだろうから。気が散るのはよろしくない。

 


でもなんか、どういう空気感で浴室に参るのか、想像がつかない。

手刀で他方の裏首を御免!して気が付いたらシャンプーの匂いがする〜〜🧴とでもするのだろうか?

それか、まあ狭い部屋だけど😅座って座って😅😅とおもむろに浴槽に着槽するのを促して、上着かけとこうか🧥?の流れで全体的に検(あらた)めさせてちゃっかりお湯溜めて上からボディーソープ鉄砲発射噴射掃射ダダダダダ?

ん〜、まあなくはないけど。

 

 

汗が良いの?知らない人の汗が。

みんなそう?そうなの?あ、そう。

 


お酒って偉大だね。

ブレストレス

あれしよこれしよってよく頭がパンクする。

自己肯定感がつおいので、あまりの思考量に自らの脳が耐えられなくなるのだろうと感情で自尊する。

そういうときには決まってブレインストーミングすることにしている。

とりあえず思ってる事、やりたい事、気になる事、やらなきゃいけない事、何かの期限、感情、もろもろ書き出す。

最初は紙に書き出していたが、保存が効くのはやはりデエタなので最近はメモに格納。

 


やって毎回驚くというか自尊しきれなくなるのが、

意外と書き出すことがない。

あーもうだめだ頭があれこれでいっぱいだ〜と思ってるときほど、ほとんどひとつかふたつのことで頭がいっぱいになっていて、大して脳内乱気流!というわけではない。

容量を食う大規模アプリをふたつほど同時に開いてしまうと、他の中小はカクカクしちゃって全然スムーズに操作できなくなるあの感じ。昔使ってたWindowsがそうだったわ。な、MacBook Air

浪花共荒れ、いや何はともあれ、なんだ、こんなもんか、と思うと少し気が楽になる。どうしたらいいのかは書き出した時点でどれも一目で瞭然とするし、優先順位をつけられないほどバカじゃないので一件落着する。

 


よし、まずは書き出されなかったあの本を読もう。