753 雑想ランデブー

映画、音楽、考えごと。カルチャーと哲学の実践的記録。でありたい。

始まりはいつも底から

   2020/09/06
 日々の営みは数値化できない。毎日さらっと見出しに目を通すだけの新聞にどれだけの意味や効果があるのか。それでも見ないよりはと思い、今日も視神経をなるべく限界まで刺激して数多の情報を摂取する。そうやって切り捨てられずに傍に積み重なる触れられる情報源触れない情報源。後悔するくらいならと出来ぬ挽回を試みて闇雲に思考を巡らして、眠りに就く頃には眼輪筋は完全に疲弊し、高ぶった交感神経は末端まで体を覚醒させ、横たわった体は休む術もなく、闇夜に押しつぶされそうになる脆弱な精神と生きた屍よろしく心中する。所詮生活にあるのはわずかな生命維持のための作業的な欲求な解消と、際限なく膨張する自意識に向けられた諧謔、そして一縷の望みに一蓮托生する馬鹿げた理想論だけだ。そう思えばこそ、この日々が数値化できないことに、むしろ胸を撫で下ろす。
 望むことならたくさんある。性別を超えてゆくこと。知らないことを知らないまま受け止めること、つまり未知の存在を常に側に感じること。細部に神を宿すこと。それぞれにそれぞれの命を燃やすこと。全ての中に美しさを見出すこと。心身の歪みを直すこと。新たな視点や隠れた眼差しを探求し続けること。社会で今なお呼吸を続ける身体や自然(Artificial natureと呼んでいる)に目を向けること。無限を掴むこと。今の中に永遠を宿すこと。正常の中に異常を現すこと。
 現状に満足できないことを向上心と呼んで、死にたいことも立派な向上心にすり替える。これでいいやと切り捨ててしまえばストレスも不安も降りかかっては来ないからと、ストレスや不安を感じられるのを遠くへ行こうともがいている証しにする。変わらないために変わり続けたいと思うのと同じくらい、変わりたくなくていつまでも同じところにいる。
 何言ってんだ?と思える頃に、笑って読み返してやりたいから、書く。わざとらしく。

 

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